NPBドラフト会議でのくじ運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 18:06 UTC 版)
「中村勝広」の記事における「NPBドラフト会議でのくじ運」の解説
阪神の一軍監督時代には、1989年の1巡目で野茂英雄、1990年の1巡目で小池秀郎(いずれも7球団と指名が重複)、1992年の1巡目で松井秀喜(3球団と指名が重複)への独占交渉権を抽選を逃している。1991年の4巡目でも三井浩二(当時は北海道足寄高等学校3年生)への独占交渉権を抽選で福岡ダイエーホークスにさらわれたが、再指名によって獲得した桧山進次郎は、4番打者や代打の切り札として阪神一筋で活躍した。 オリックスGM時代の2005年に臨んだ高校生ドラフト会議1巡目では、巨人との指名重複によって辻内崇伸への独占交渉権を抽選で確定させる際に、外れクジを当たりクジと勘違いしてしまった。この年の抽選に使用されたクジには、当たりクジにも外れクジにもNPBの認印が押されていたため、陽仲壽への指名重複による抽選でもソフトバンクの王貞治監督も中村と同様の勘違いを犯した。この結果、翌2006年以降のドラフト会議では、クジのデザインが刷新された。ちなみに、抽選で独占交渉権を得た巨人へ入団した辻内は、一軍公式戦へ登板できないまま2013年に引退。中村が再指名を経てオリックスへ入団させた岡田貴弘(T-岡田)は、2010年にパ・リーグ本塁打王のタイトルを獲得したほか、中村の急逝後もオリックス一筋で現役生活を続けている。 ウィキニュースに関連記事があります。2005年の高校生ドラフト開かれる 阪神のGMに就任した直後の2012年ドラフト会議には、当時監督だった和田豊などと共に同席。阪神・オリックス・千葉ロッテマリーンズ・東京ヤクルトスワローズの間で藤浪晋太郎への指名が重複したドラフト1巡目の抽選では、和田が当たりクジを引いたことで阪神の独占交渉権が確定した。この会議後に阪神へ入団した藤浪は、抽選へ参加しなかった中村について、中村の急逝直後に「(和田が当たりクジを引いた瞬間、抽選箱の)後ろのテーブルでガッツポーズを見せて下さったことが印象に残っているほど、自分の入団を喜んで下さった」と述懐している。
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