NPB入り後
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2008年度プロ野球ドラフト会議では、香川時代の実績を買われて、東北楽天ゴールデンイーグルスに育成枠で1位指名。高校卒業から10年目・28歳にして、念願のプロ野球選手になった。背番号は125。松坂世代の選手では最後のNPBドラフト指名で、入団1年目には本名で登録された。 2009年は育成選手ながら二軍のクリーンナップを任されると、6月9日までに44試合に出場して打率.304(161打数49安打)・6本塁打・31打点、二塁打はイースタン・リーグトップの15本を記録した。それらが評価されたため、6月10日に支配下登録に移行、背番号を98に変更すると同時に登録名を香川在籍時と同じ「丈武」とした。同日に一軍登録も行われ、対中日ドラゴンズ戦に8番・三塁手で先発出場し、小笠原孝から初安打を放った。この年は一軍では少ない出番ながらも二塁打を4本放つなど監督の野村克也の期待に応え結果を残したが、球団史上初のポストシーズンとなった2009年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズでは出場がなかった。このシーズンはフレッシュオールスターゲームの出場も果たし、二軍での活躍が評価されてファーム優秀選手賞に選ばれた。また、シーズン終了後には、香川時代から交際していた女性と結婚。後に女児を授かっている。 NPB3年目、星野仙一が監督就任後最初のシーズンが終了した2011年11月11日に戦力外通告を受け、12月2日に自由契約選手公示された。 2012年は、社会人野球のパナソニックでアマチュア野球に復帰。楽天での最終年と変わらぬ待遇の下でプロ野球への復帰を目指した。しかし実際は若手主体のチームで出番が代打などに限られ、思うような成績を残せなかった。自身の誕生日に事実上の戦力外通告を受けたことから、野球選手としての生活に終止符を打つことを決意。同年末には退部、妻子を連れて自身の実家に戻った。
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