NFLキャリア
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「ブレイディ・クイン」の記事における「NFLキャリア」の解説
2007年のNFLドラフトで、クリーブランド・ブラウンズに1巡目全体22番目で指名されて入団した。当初ドラフトのトップ5、トップ10以内に指名されると予想されていた。クインの代理人はチームに対してドラフトのトップ10で指名された選手と同等の契約を結ぶよう主張し彼の契約は大幅に遅れ 5年間で2000万ドルの巨額の契約を勝ち取ったがトレーニングキャンプをホールドアウトした彼に先発QBの座を得るチャンスは失われた。 メディアはそれに驚いたが彼自身は自分が生まれた地元オハイオ州のチームであるブラウンズに入団できた事を喜んだ。 同年9月11日にチャーリー・フライがシアトル・シーホークスにドラフト6巡目指名権と引換えで移籍し、彼はデレック・アンダーソンに次ぐチームのセカンドQBとなった。 入団後、トレーニングキャンプを欠席した彼に試合出場の機会はなかなか回ってこず、1年目の2007年はアンダーソンの控えとしてシーズンを過ごし第17週のサンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦に1試合だけ手首と小指を痛めたアンダーソンに代わって途中出場を果たし、8本のパスを投げて3本を成功させた。2008年のドラフト前にチームがアンダーソンを放出してドラフト1巡目指名権を獲得しようとしていると報道されたがチームはアンダーソンと再契約を果たした。 2008年、エースQBのデレック・アンダーソンが調子を落としたため、11月6日に行われた第10週のデンバー・ブロンコス戦で初先発し試合は30対34で負けたが、地元オハイオ州出身の彼の登場によりファンは喜んだ。しかし次週の対バッファロー・ビルズ戦で右手人差し指を負傷し第12週は出場したがその後手術を行うため故障者リスト入りした。 12月にはチームのウェイトルームでDTのショーン・スミスと口論になり顔面を殴られたことが報道された。 2009年、シーズン開幕直前までデレック・アンダーソンとの先発QB争いを行い、開幕戦から先発QBに指名されたが成績は振るわず一時アンダーソンに先発の座を奪われた。同年11月16日のボルチモア・レイブンズ戦で彼は相手ラインバッカーのテレル・サッグスにタックルしたがひざに絡みつくような危険なタックルであると15ヤードの罰退となる反則をコールされた。試合後サッグスのチームメートのレイ・ルイスからは卑劣なプレーだと非難された。これについて彼は意図的なものではないと釈明した。 2010年オフシーズンにブラウンズがセネカ・ウォレス、ジェイク・デロームを獲得したためチーム構想から外れて、ペイトン・ヒリスなどとの交換でデンバー・ブロンコスにトレードされた。ブロンコスではカイル・オートンの控えを務めることとなった。 2012年3月17日、カンザスシティ・チーフスと契約を結んだ。プレシーズンゲーム最終戦で首を負傷している。第6週にはエースQBマット・キャセルが前の週の試合で負傷したため、3年ぶりに先発出場している。ジョバン・ベルチャーがチームの練習施設で自殺した翌日に行われた12月2日のカロライナ・パンサーズ戦ではパス23回中19回成功、201ヤード、2TDパスの活躍を見せて、8連敗していたチームに勝利をもたらした。パス成功率82.6%、QBレイティング132.1をマークした彼はその週のAFC週間MVP攻撃部門に選ばれた。 2013年4月9日、シアトル・シーホークスと契約を結んだ。タバリス・ジャクソンと、ラッセル・ウィルソンの控えQBの座を争ったが敗れ、8月31日の最終ロースターカットで解雇された。9月2日にニューヨーク・ジェッツと契約し、9月7日にいったんは解雇されたものの、9月9日にジェッツと再契約を結んだ。
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