Lamigo・楽天時代
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2015年、10月7日の中信兄弟戦でプロデビューし、3日後の同月10日の同カードではプロ初安打を放つ。さらに2日後の同月12日の統一ライオンズ戦でプロ初本塁打を放ち、CPBLにおける史上最年少本塁打記録ホルダーとなった(18歲と187日)。 2016年は大ブレイクを果たし、ベストナインのタイトルを獲得した。オフに192万台湾元で契約更改。 2017年開幕前に開催された2017 ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表の壮行試合のCPBL選抜に選出された。この試合では遊撃手として出場した。シーズンではプレーオフの台湾シリーズではチームの台湾一に貢献し、優秀選手に選出された。オフの11月7日に怪我で辞退した廖健富に代わり、2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ チャイニーズタイペイ代表に選出された。 2019年は初の2桁本塁打を記録するなど、2度目のベストナインを獲得した。 2020年は開幕から好成績を残すも、4月25日の統一ライオンズ戦で走塁の際に足を痛め、約5週間離脱した。6月2日に一軍昇格を果たすも、出場機会が減少したため同月17日に再び二軍へ降格した。同月30日に一軍再昇格をするも、僅か77試合に出場に留まった。 2021年3月は月間打率.375、9打点を記録し自身初となる月間MVPを獲得した。同月31日の味全ドラゴンズ戦では田澤純一からサヨナラ打を記録していた。
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Lamigo・楽天時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 04:15 UTC 版)
2015年、CPBLのドラフト会議では指名されなかったが、後にLamigoモンキーズに入団した。左肩の故障によりアマチュア時代以来となる外野手に再転向し、9月2日の義大ライノズ戦に2番・中堅手でスタメン初出場を果たした。 2016年開幕前の1月29日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」のチャイニーズタイペイ代表27名に選出されたが、3月3日にインフルエンザのため辞退した。8月27日の統一ライオンズ戦では明らかな外角高めのボール球をスタンドへ運び話題になり、当時統一ライオンズの監督を務めていた郭泰源が台湾プロ野球界の打高投低を問題視するきっかけとなった。 2017年はオールスターゲームのホームラン競争で、3連覇中だった林智勝を押さえて優勝を果たした。 2019年は7月24日の中信兄弟戦で自身初となる満塁ホームランを放った。9月11日の富邦ガーディアンズ二軍戦では4年ぶりにマウンドへ上がった。 2020年は6月21日の中信兄弟戦で自身最多となる1試合5打点を挙げた。同月26日の統一ライオンズ戦では先頭打者ホームランを放ち、弟の陽岱鋼と海を越えてのアベック弾となった。9月1日の富邦ガーディアンズ戦では12点差で負けていた9回に一軍では2015年以来となるマウンドに上がり、1回を無失点に抑えた。 2021年は3月16日の統一ライオンズとの開幕戦で1番・右翼手で出場し、首脳陣に期待が表れるも4月25日に成績不振で二軍へ降格した。オフの12月21日に戦力外通告を受け、退団した。
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