La New・Lamigo時代
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「林智勝」の記事における「La New・Lamigo時代」の解説
善化高中から合作金庫銀行を経て、2004年に台湾・中華職業棒球大聯盟のLa Newベアーズに入団。 2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では決勝の日本代表戦9回裏に高崎健太郎からサヨナラ2塁打を記録し、チャイニーズタイペイ代表史上初のアジア競技大会優勝に貢献した。 2008年4月4日、兄弟エレファンツ戦の9回裏、一塁審判の判定を不服とし、ベンチから飛び出し塁審にタックルし、退場処分を受けた。後日、中華職業棒球大聯盟より、15試合出場停止処分と罰金18万台湾元を言い渡された。8月には北京オリンピックの野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。 2010年11月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では準優勝を果たした。 2011年8月21日の統一ライオンズ戦でCPBL記録となる9打数連続安打(8月19日 - 8月21日)を放った。 2012年6月25日の兄弟エレファンツ戦で入団から9年連続となる2桁ホームランを放った。9月21日に第3回WBC予選のチャイニーズタイペイ代表に選出された。オフの11月には第3回WBC予選前にキューバ代表との国際親善試合である「サンダーシリーズ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された。 2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された。3月6日の第1ラウンドB組韓国との試合後の式典中にマウンドに小さな台湾国旗を立て、数十秒で抜いた。 シーズンでは7月17日の対義大ライノズ戦後に、車を運転中にタクシーと衝突、左ひざじん帯断裂でシーズン中の復帰は絶望となった。 2014年シーズンオフに自身の申し出もあり、交流の一環として千葉ロッテマリーンズの秋季キャンプに参加した。 2015年6月20日から最終戦まで60試合連続で出塁する。9月30日に第1回WBSCプレミア12のチャイニーズタイペイ代表に選出された。同年、CPBL初のトリプルスリー(打率.380、31本塁打、30盗塁)を達成した。11月に開催されたプレミア12ではチャイニーズタイペイ代表チームの主将として出場し、大会出場選手中最多の4本塁打を記録したが、チャイニーズタイペイ代表はグループリーグで敗退した。大会期間中は日本代表にタピオカミルクティー50杯を差し入れるなども行った。 このオフには、日本の球団に入団するため売り込んでいたが、契約に至らなかったことが報じられた。
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