Kマートチェーンの発足と急成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 01:23 UTC 版)
「Kマート」の記事における「Kマートチェーンの発足と急成長」の解説
1964年(昭和39年)2月にKマートチェーンを結成する。当時は菓子の専門店をボランタリー・チェーン方式で組織化していたが、1966年(昭和41年)に見切りを付けて食品総合店への転換プログラムを作成した。同年の6月には日本生産性本部が派遣した「米国VC視察団」に当時の橘高社長が団長として参加し、アメリカでコンビニエンスストアという業態に出会う。1967年(昭和42年)に「米国流通視察団」がアメリカのコンビニについて調査した分析結果から、コンビニがスーパーと競合するものではないと判断、コンビニの展開の検討に入った。 1968年(昭和43年)頃から、東は北陸地方・長野県、西は中国地方・北部九州に支部を置いて進出し、のちに東京都・名古屋市・札幌市へ進出し、ほぼ日本全国へ進出した。1970年(昭和45年)5月にコンビニの実験店舗として大阪十三に1号店を開業、9月に2号店を大阪我孫子で開き、1971年(昭和46年)3月に初の府外店舗を京都市山科区に開店した。実験店舗の営業成績は小型スーパーよりも良く、将来的なコンビニの成長を見込んで事業推進を決し、1971年4月に東京都台東区に事務所を設けた。関東地方の地元商店に根気強く働きかけて、10月1日に千葉県内で4店舗を同時開業させた。 チェーンの発足から約10年間、チェーン本部は赤字が続いて橘高が援助していたが、以後は収益が改善して橘高本体から分離が検討された。事業が軌道に乗ると、橘高の本業である卸売事業とボランタリー・チェーン部門の売上高がほぼ半々となり、チェーン本部を資本金3000万円のケイマート・チェーン協同株式会社として1978年(昭和53年)7月に別会社化した。この年までKマートはコンビニ業界で1位を保っていたが、1979年(昭和54年)にセブン-イレブンに追い抜かれた。
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