JERA誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 03:42 UTC 版)
東電が募集した燃料・火力発電事業に関する包括提携の相手として名乗りを上げたのは、中部電力以外に、関西電力、東京ガス(東ガス)、大阪ガス、JX日鉱日石エネルギー(現・ENEOS)であった。 一時は、東ガスが本命の相手ではないかとの見方があった。1967年(昭和42年)、安西浩社長(当時)の率いる東ガスと、木川田一隆社長(当時)の率いる東電とは、共同して日本初のLNG導入を決定した。それ以来、両社は、LNGの共同調達とLNG基地の共同運営の実績を積み重ねてきた。2014年(平成26年)、東ガスの広瀬道明社長(当時)は、「これからも東電と当社が一緒にやればいちばん全体最適になるのではないか」、「われわれはそう考えているが、東電側がどう考えるかだ」と、東電に対する期待感をにじませた。同社長は「(東電は)当社と組むのが必然」とまで発言し、東電との包括提携に並々ならぬ意欲を見せていた。 しかし、2014年(平成26年)9月、東ガスは東電に、包括提携の相手候補から降りることを告げた。結果的に、相手候補として最後に残ったのは、中部電力であった。中部電力側によれば、「常陸那珂で東電との人脈も含めて関係を構築できたこと」が大きかったという。経済産業省幹部は、東電・中部電力・大阪ガスの提携が実現することが電力・ガス業界の再編につながり、望ましいと考えていたという。 2014年(平成26年)10月、東電の廣瀬直己社長と中部電力の水野明久社長とが共同で記者会見を開き、火力発電に関する包括的アライアンスの協議に入ることを発表した。翌年2月、両社は包括的アライアンスに合意した。 2015年(平成27年)4月、両社はJERAを設立した。中部電力側は、名古屋からのアクセスが便利な品川駅周辺にJERAの本社を置くことを希望したが、東電の数土文夫会長(当時)の「もっと東京の真ん中へ」という希望が通り、JERA本社は中央区日本橋の東京日本橋タワーに置いた(2019年1月に日本橋髙島屋三井ビルディングに移転)。「JERA」という社名を提案したのも東電側であった。両社のJERAに対する出資比率は50%ずつで、初代の代表取締役会長には東電出身の内藤義博が、初代の代表取締役社長には中部電力出身の垣見祐二が就任した。当初の資本金は4.8億円、人員は約50人であった。当初の事業内容は、新規の燃料上流事業開発・燃料調達事業、国内火力発電所の新設・リプレース事業、新規の海外発電事業開発であった。 両社は、2015年度(平成27年度)から段階的に、燃料・火力発電事業をJERAに統合する作業を進めた。2015年(平成27年)10月に燃料輸送事業、燃料トレーディング事業をJERAに統合し、翌年7月には、燃料上流事業、燃料調達事業、海外発電・エネルギーインフラ事業を統合した。
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