IRLインディカーシリーズ
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「ジョン・アンドレッティ」の記事における「IRLインディカーシリーズ」の解説
2007年、アンドレッティは1994年にダブル(同じ日にインディ500とコカ・コーラ600に出場すること)を達成して以来のインディアナポリス500に戻った。彼はキャンプワールドがスポンサードするパンサー・レーシングの3台目をドライブし、4周の予選走行の平均速度は221.756マイル毎時 (356.882 km/h)を記録。5月19日、彼は第91回インディアナポリス500決勝に8列目24位からスタートしたが、95周目にクラッシュして30位でレースを終えた。 2008年のインディ500はジェイ・ハワードと交代するかたちでロスレーシングNo.24ダラーラホンダで参戦し、予選では4周平均221.550マイル毎時 (356.550 km/h)を記録し21位グリッドを獲得。9回目の挑戦となる5月17日のインディ500決勝では、16位でフィニッシュした。その後、アンドレッティはミルウォーキー・マイルとテキサス・モーター・スピードウェイにも引き続き同チームから参戦し、6月6日に彼は残りシーズン全戦の契約を提示されたが、受け入れずに離脱した。 アンドレッティのロスレーシングとの走行は、チームにいくつかの注目すべき結果をもたらした。彼はテキサス・モーター・スピードウェイレースで予選7位を獲得し、素晴らしいスタートを切ったものの16位でフィニッシュした。アイオワ・スピードウェイで23位からスタートし、着実に順位を上げて、ロスレーシングとしては最高位となる11位フィニッシュを達成した。その翌週のリッチモンド・インターナショナル・レースウェイではクラッシュでノックアウトされ、これがロスレーシングでの最後の参戦となった。ジョンが離脱後のロスレーシングは残りシーズンを1台体制で戦い、その後活動を停止した。最終的にアンドレッティは2008年のインディカーポイントランキングで30位となった。 2009年4月、アンドレッティとリチャード・ペティは、ドレイヤー&レインボールド・レーシングとの合弁事業を発表。これにより、アンドレッティは第93回インディアナポリス500で43号車をドライブすることになった。過去のインディ500とは異なり、この年のアンドレッティはインディ/シャーロットダブルを実行せず、加えてインディ500の準備のためにサザン500とコカコーラ600を回避した。アンドレッティは28日のバンプデーを経て、最終的にリードラップ最後尾の19位でフィニッシュした。アンドレッティはインディアナポリス500の後、6月のドーバー400からフロントロウモータースポーツで34号車をドライブしてNASCARに戻った。 2010年3月31日、アンドレッティは2つのイベントでリチャードペティ及びウィンドウワールドと協力すると発表。 No. 43は、ジョンのいとこであるマイケルが所有するアンドレッティ・オートスポーツが支援するエントリーとして戻ってきた。チームの最初のレースとなった、5月1日にカンザススピードウェイで開催されたRoadRunner Turbo Indy300では、アンドレッティは15位で予選を通過したが、1ラップダウンの9位でフィニッシュした。5月30日の第94回インディアナポリス500では、ポールデーで予選に失敗した後、2年連続で参加したバンプデーを28位で通過。決勝では65周目にクラッシュし、30位でレースを終えた。 アンドレッティは、ウィンドウワールド、ペティ、アンドレッティオートスポーツと提携して100周年を迎えた2011年のインディ500にも出場し、22位でフィニッシュした。
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