ミニョーネ
サンパウロのイタリア人の移民音楽家の息子として生まれる。父からフルートとピアノを習い、1907年からシルヴィオ・モットにピアノを師事。後、サンパウロ音楽院でピアノとフルートと作曲をカントゥに師事。卒業後、管弦楽作品や、オペラを作曲し、成功を収める。1920年にミラノ音楽院にてフェッローニに学び、オペラを書いた。1929年には母校にて、和声を教え、1933年に国立音楽学校の公認指揮者と指揮の指導にあたった。1937年からはヨーロッパ中で演奏旅行を行い、アメリカ合衆国まで訪れている。ピアノ曲は1930年代から40年にかけて多数作曲されている。民族主義的要素の作品は《奥地の伝説》《4つのブラジル小品》《黒人の坊や》《カチレテ》《ボトクードの踊り》《モジーニャもどき》である。民謡から採られたものも含む叙情的な旋律は、全体を通じて支配的な調的和声やしばしばシンコペーションが現れるリズムとともに使われ、都会の大衆音楽に大きく依存している。
フランシスコ・ミニョーネ
(Francisco Mignone から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 21:01 UTC 版)
フランシスコ・パウロ・ミニョーネ(Francisco Paulo Mignone、1897年9月3日 - 1986年2月2日)はブラジル・クラシック音楽を代表する作曲家。ヴィラ=ロボス以降では最も重要な作曲家の一人とされる。1968年には「ブラジリアン・コンポーザー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。サンパウロ音楽院とミラノ音楽院を卒業したミニョーネは1929年にサンパウロに帰還し、和声の教鞭を執り始める。1933年にはリオ・デ・ジャネイロに所在する国立音楽院に移動。彼は大変な多作家であり、作曲方面は歌曲を始め、ピアノ曲、室内楽曲、合唱曲など多岐に渡る。更に5曲のオペラと8曲のバレエ曲を残した。
- 1 フランシスコ・ミニョーネとは
- 2 フランシスコ・ミニョーネの概要
- 3 外部リンク
- Francisco Mignoneのページへのリンク