エルスワース・バインズとは? わかりやすく解説

エルスワース・バインズ

(Ellsworth Vines から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 17:20 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エルスワース・バインズ
Ellsworth Vines
エルスワース・バインズ
基本情報
フルネーム Henry Ellsworth Vines, Jr.
愛称 Elly(エリー)
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州ロサンゼルス
生年月日 (1911-09-28) 1911年9月28日
没年月日 (1994-03-17) 1994年3月17日(82歳没)
死没地 同・カリフォルニア州ラ・キンタ
身長 189 センチメートル
利き手 右
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1962年
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1933)
全英 優勝(1932)
全米 優勝(1931・32)
優勝回数 3(英1・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1933)
全米 優勝(1932)
優勝回数 2(豪1・米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全米 優勝(1933)
優勝回数 1(米1)

エルスワース・バインズ(Ellsworth Vines, 1911年9月28日 - 1994年3月17日)は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の男子テニス選手。1930年代前半に活躍した選手で、1931年・1932年の全米選手権と1932年のウィンブルドン選手権男子シングルスで優勝し、4大大会で3勝を挙げた。バインズはアメリカの男子テニス選手として、ビル・チルデンやビル・ジョンストンの後に続く世代に位置している。1936年10月にプロテニス選手として日本を訪れたこともあった。彼は「エリー」(Elly)という愛称で呼ばれた。

来歴

バインズは1930年から1933年までの4年間、アマチュアテニス選手として活動した。初出場だった1930年の全米選手権では3回戦で敗退したが、1931年に2度目の出場で決勝進出を果たし、ジョージ・ロット(1906年 - 1991年)を 7-9, 6-3, 9-7, 7-5 で破って初優勝を飾った。1932年がバインズのテニス経歴の最盛期で、ウィンブルドン選手権と全米選手権で4大大会2連勝を達成した。ウィンブルドンでは、4回戦で日本の青木岩雄に第2セットを許したが(バインズのスコア:6-2, 3-6, 6-3, 6-2)準々決勝以後の3試合はすべてストレート勝ちを収める。地元イギリスのヘンリー・オースチンを 6-4, 6-2, 6-0 で圧倒した決勝戦で、バインズは試合中に30本のサービス・エースを放った。全米選手権決勝ではフランスのアンリ・コシェを 6-4, 6-4, 6-4 で破って2連覇を果たし、キース・グレッドヒルとペアを組んだ男子ダブルスも優勝して、単複2冠獲得を達成した。

1933年、バインズは初めて全豪選手権に遠征した。シングルスでは準々決勝で当時17歳の新鋭ビビアン・マグラスに敗退したが、キース・グレッドヒルと組んだ男子ダブルスで優勝する。バインズとグレッドヒルのコンビは、4大大会の男子ダブルスで2勝を挙げた。1933年ウィンブルドンの決勝戦で、バインズはオーストラリアのジャック・クロフォードに 6-4, 9-11, 2-6, 6-2, 4-6 のフルセットで敗れ、大会2連覇を逃した。(1933年ウィンブルドンでも、3回戦で三木龍喜との対戦があった。)続く全米選手権で、バインズは4回戦で同じアメリカのブライアン・グラント(1910年 - 1986年)に敗れ、大会3連覇をあっけなく逃した。この大会の混合ダブルス部門でエリザベス・ライアンとペアを組んだ優勝を最後に、バインズはアマチュアテニス界を離れ、「プロテニス選手契約書」に署名する。こうしてバインズはプロテニス選手となり、先輩のビル・チルデンたちと一緒にプロテニスツアーを回った。

1936年(昭和11年)10月、エルスワース・バインズはビル・チルデンと女子選手のシャープとともに、アメリカ人プロテニス選手3人の一行で日本を訪れた。バインズの来日に先立ち、主催者の読売新聞社は4年前のウィンブルドンで健闘した青木岩雄に紹介文の原稿を依頼した。チルデンはこの来日で、旧友の清水善造との再会を楽しんだ。女子プロ選手はシャープ1人であったことから、対戦相手として岡田早苗が指名され、岡田は「日本人最初の女子プロテニス選手」となる。この「日米国際庭球戦」で、プロ選手4人の一行は東京の田園コロシアム(現在の有明コロシアム)・大阪の甲子園・名古屋の3都市で試合を行い、日本のファンにプロテニスを紹介した。プロテニス選手としての期間中に、バインズは「ウェンブリー・ワールド・プロテニス選手権」(Wembley World Pro)で3連覇を達成し、チルデンとは47度の対戦で26勝21敗の戦績を残した。

バインズは早くも1930年代の終わり頃にテニスへの関心を失い、プロゴルファーに転向する。その後はゴルフの「ティーチング・プロ」として生計を立てた。バインズはゴルフでも好成績を残し、1951年の全米プロゴルフ選手権でベスト4に進出した。当時の全米プロゴルフ選手権は、1957年までマッチプレー方式で行われていた。(1951年の全米プロゴルフ選手権決勝戦は、サム・スニードとウォルター・バークモのカードになり、スニードが優勝した。)1962年に国際テニス殿堂入り。1977年にウィンブルドン選手権の「100周年記念式典」が開催され、66歳になったバインズは歴代優勝者の1人として記念メダルを授与された。1994年3月17日、エルスワース・バインズはカリフォルニア州ラ・キンタにて82歳で逝去した。

4大大会優勝

年 大会 対戦相手 試合結果
1931年 全米選手権 ジョージ・ロット 7-9, 6-3, 9-7, 7-5
1932年 ウィンブルドン選手権 ヘンリー・オースチン 6-4, 6-2, 6-0
1932年 全米選手権 アンリ・コシェ 6-4, 6-4, 6-4

参考文献

  • 日本テニス協会発行『テニス・プレーヤーズ・ガイド』 2006年版(177・181ページより、青木岩雄と三木龍喜の4大大会成績表を参照)
  • 青木岩雄君追悼録編『青木岩雄君』(1940年、青木君伝記編纂会刊行) 本書の246-256ページで「ヴァインズとの一戦」の章を割き、483-487ページに青木が記した『ヴァインズを語る』(1936年10月1日付読売新聞掲載)の記事が掲載されている。エルスワース・バインズについて日本語で書かれた最も詳細な資料。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エルスワース・バインズ」の関連用語

エルスワース・バインズのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エルスワース・バインズのページの著作権

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエルスワース・バインズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS