Corps d'Afrique
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/21 07:37 UTC 版)
「アメリカ合衆国有色軍」の記事における「Corps d'Afrique」の解説
Corps d'Afrique(アフリカ兵団)はルイジアナ州で編成された北軍部隊の中の一つであり、北軍によるニューオーリンズ占領後に編成された。この一部はルイジアナ郷土防衛隊(英語版)から抽出されたものである。郷土防衛隊の前身はニューオーリンズで編成された民兵組織であり、構成員は有産の有色自由人(en)だった。 植民地時代以来、ニューオーリンズでは混血の自由人が第三階級として勢力を持っていた。この人々はアメリカ連合国の有産階級の一員として武勇と忠誠を示すことを望んでいたが、連合国政府は彼らが軍務に就くことを認めず武器を没収した。この理由は黒人兵士を募兵すると農業が痛手を蒙るからとされたが、これらの部隊は自由身分のクレオールや自由黒人から成っていたので、連合国の本音は黒人兵士をそもそも認めないことにあるのが明らかだった。 Corps d'Afriqueの中で新しい部隊には、北軍は難民キャンプの解放奴隷から募兵して配属した。これらの兵士やその家族は近在のプランテーションから解放されたばかりで収入も行くあても無かった。現地指揮官は補充兵を欲する余り志願兵部隊に中古の軍服や旧式銃に鹵獲銃を装備させた。これらの兵士は待遇給与とも補助部隊として扱われ、警備や哨戒任務に投入されて、白人兵士の身を空けて第一線部隊に回す目的で使われた。この代償として家族には軍のキャンプで無料の衣食住が与えられ、彼らとその子弟のために学校が開設された。 Corps d'Afriqueに所属した兵には自由人と解放奴隷の間で階級格差があったが、部隊としての行動は遜色なく、ポートハドソンの包囲戦や他の南方での戦闘に参加した。配下には次の諸隊があった。 ルイジアナ郷土防衛連隊4個(後に第1~第4Corps d'Afrique歩兵連隊に改称。1864年4月4日付で第73~76合衆国有色歩兵連隊に改編) Corps d'Afrique第1~第2旅団軍楽隊 (後にUSCT第1第2軍楽隊に改編) 騎兵連隊1個(Corps d'Afrique第1騎兵連隊。後に第4合衆国有色騎兵連隊に改編) 歩兵連隊22個(Corps d'Afrique第1~20、22、26歩兵連隊。1864年4月4日付で第77~93合衆国有色歩兵連隊に改編) 工兵連隊5個(Corps d'Afrique第1~5工兵連隊。1864年4月4日付で第95~99合衆国有色歩兵連隊に改編) 重砲連隊1個(1864年5月21日付で第10合衆国有色(重)砲兵連隊に改編)
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