メキシコ湾岸軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > メキシコ湾岸軍の意味・解説 

メキシコ湾岸軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 01:34 UTC 版)

メキシコ湾岸軍(Army of the Gulf)
活動期間 1862年 - 1865年
国籍 アメリカ合衆国
軍種 アメリカ陸軍北軍
兵科
主な戦歴 南北戦争

メキシコ湾岸軍(Army of the Gulf)は南北戦争中の北軍野戦軍で、北軍が支配していたメキシコ湾岸の州、主にルイジアナ州およびアラバマ州で活動した。

歴史

1862年5月1日、海軍のデヴィッド・ファラガット提督の前にニューオーリンズは無血開城した。市の軍政府長官はベンジャミン・フランクリン・バトラーが務めた。それに先立つ2月23日にバトラーは、メキシコ湾岸軍管区(Department of the Gulf)と、そこが管轄する部隊より構成されるメキシコ湾岸軍の司令官に任命された。

軍は1862年の残りの期間、目立った活動は行わなわず、12月15日に司令官はナサニエル・バンクスに交替した。バンクスはメキシコ湾岸軍管区、メキシコ湾岸軍および第19軍団の司令官を兼任したが、実質的にはこれらは同一部隊であった。バンクスはルイジアナ南部で何回か軍を動かし、1863年5月21日からは軍が参戦した最初の大規模な戦いであるポートハドソンの包囲戦が開始され、7月9日にはポートハドソンの南軍は降伏した。翌年、第13軍団第16軍団が追加され、メキシコ湾岸軍は3個軍団編成に増強された。この拡大により、第14軍団長はバンクスに代わってウィリアム・エモリー(William H. Emory)が就任した。

1864年3月、バンクスは悲惨な結果となったレッド川方面作戦を開始した。作戦が失敗した後、バンクスは辞任しスティーブン・ハールバット(Stephen A. Hurlbut)少将が軍司令官となった。第19軍団はシェナンドー渓谷に派遣され、残った兵力はモービル湾の海戦に陸上攻撃に参加した。

戦争の後半、エドワード・キャンビー少将の西ミシシッピ軍方面軍(Military Division of West Mississippi)が、アラバマ州モービル攻撃のために、メキシコ湾岸軍の2個軍団(第13軍団および第16軍団)を傘下に入れた。作戦の期間中、キャンビーは軍を西ミシシッピ軍'と呼んだ。西ミシシッピ軍はスパニッシュフォートの戦い(Battle of Spanish Fort)とフォートブレークリーの戦い(Battle of Fort Blakely)に参戦した。キャンビーは戦争の最終段階でメキシコ湾岸軍管区の司令官に任じられ、軍の名称もメキシコ湾岸軍に戻った。

歴代軍司令官

主な戦闘と作戦

ポートハドソンの戦いの戦闘序列

師団 旅団

メキシコ湾岸軍(第14軍団)
ナサニエル・バンクス少将

第1師団
Christopher C. Augur准将

  • 第1旅団(5個歩兵連隊)
  • 第2旅団(5個歩兵連隊)
  • 第3旅団(4個歩兵連隊)
  • 砲兵部隊(7個砲兵中隊)
  • 独立部隊(1個砲兵連隊、2個黒人護衛連隊、2個騎兵連隊)

第2師団
Thomas W. Sherman准将(負傷)
George Leonard Andrews准将
George Leonard Andrews准将
William Dwight准将

  • 第1旅団(5個歩兵連隊)
  • 第2旅団(5個歩兵連隊)
  • 第3旅団(6個歩兵連隊)
  • 砲兵部隊(2個砲兵中隊)

第3師団
Halbert E. Paine准将(負傷)
Hawkes Fearing大佐

  • 第1旅団(4個歩兵連隊)
  • 第2旅団(4個歩兵連隊)
  • 第3旅団(4個歩兵連隊)
  • 砲兵部隊(3個砲兵中隊))

第4師団
Cuvier Grover准将

  • 第1旅団(5個歩兵連隊)
  • 第2旅団(4個歩兵連隊)
  • 第3旅団(4個歩兵連隊)
  • 砲兵部隊(3個砲兵中隊))

黒人部隊

  • Corps D'Afrique(6個黒人連隊)
  • Native Guard(3個黒人連隊)

騎兵

  • 1個旅団(6個騎兵連隊)

参考資料


メキシコ湾岸軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 03:27 UTC 版)

ナサニエル・バンクス」の記事における「メキシコ湾岸軍」の解説

バンクス次にワシントンD.C.防衛軍指揮任された。1862年11月ニューヨーク州ニューイングランドから引っ張って来る3名の新兵編成することを求められた。元マサチューセッツ州知事としてこれらの州知事とは結び付きがあり、徴兵業務成功だった。12月にこれら新兵大部隊を連れてニューヨークから船に乗りニューオーリンズ行って、メキシコ湾岸軍指揮官としてベンジャミン・バトラー少将交代したミシシッピ川遡り当時ビックスバーグ占領目指していたユリシーズ・グラント軍と合流する命令受けたバンクスは、先ずバイユー・テッシュから南軍追いルイジアナ州アレクサンドリア進軍し裕福な農業地帯から奴隷綿花および牛を徴収した

※この「メキシコ湾岸軍」の解説は、「ナサニエル・バンクス」の解説の一部です。
「メキシコ湾岸軍」を含む「ナサニエル・バンクス」の記事については、「ナサニエル・バンクス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「メキシコ湾岸軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「メキシコ湾岸軍」の関連用語

メキシコ湾岸軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



メキシコ湾岸軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのメキシコ湾岸軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのナサニエル・バンクス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS