ポートハドソンの包囲戦
ポートハドソンの包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 03:27 UTC 版)
「ナサニエル・バンクス」の記事における「ポートハドソンの包囲戦」の解説
南軍がその守備隊をミシシッピ川沿いポートハドソンに撤収した時、バンクスは1863年5月にそこを包囲した。ポートハドソンの包囲戦の間に要塞を急襲する試みが2度行われたが、ビックスバーグと同様、惨憺たる結果になった。ポートハドソンではバンクスの承認で、南北戦争の主要な戦いで初めてアフリカ系アメリカ人兵士が使われた。要塞の守備隊は食糧や弾薬が不足し、ビックスバーグが陥落したという報に接した1863年7月9日に降伏した。ミシシッピ川全体が北軍の支配下に入った。 1863年秋、バンクスは主にメキシコにいるフランス軍が南軍を助けたりテキサス州を占領したりしないようにする目的で2度船でテキサスへの遠征を行い、結果的にリオ・グランデ川河口近くの地域とテキサスの離れ島の領有を確保した。
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