テイラーの西ルイジアナ作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 00:18 UTC 版)
「南部沿岸戦線 (南北戦争)」の記事における「テイラーの西ルイジアナ作戦」の解説
ポートハドソンの包囲戦が行われていた1863年6月、南軍のテイラー少将は北軍の供給線を脅かし、ポートハドソンを包囲しているバンクス軍を撤退に追い込もうと考えた。テイラーが派遣した遠征隊は途中で北軍の部隊、船舶およびプランテーションを襲った。ニューオーリンズで留守を守っていた北軍から南軍の襲撃を止めさせるための部隊が派遣され、6月20日、ラフォーシェ郡のラフォーシェクロッシングで両軍が会して小競り合いとなった。戦いは翌21日の夜まで続いたが、最後は南軍が撤退した(ラフォーシェクロッシングの戦い)。 南軍は北軍が支配するドナルドソンヴィルの再奪取に向かった。そこには北軍がバトラー砦を建設していた。6月27日の真夜中から南軍による砦攻撃が始まり、砦の前の大きな溝で南軍の進撃が止まったあとで、北軍の砲艦が駆けつけ援護射撃をした。南軍は何度か攻略を試みたが、損失を出し、最後は撤退した(第二次ドナルドソンビルの戦い)。 ポートハドソンの守備隊が降伏した後の7月11日、北軍はドナルドソンヴィルに2個師団を送って内陸部も抑えようとした。7月13日にコックのプランテーションに到着したところで、南軍と出逢い押し戻された。北軍は小規模な南軍部隊に破れ、ドナルドソンヴィルまで退却した(コック・プランテーションの戦い)。 9月に入って、バンクス将軍はルイジアナからテキサス州への侵攻を考えた。これを援助するためにグラント将軍が送った師団の分遣隊がアチャファラヤ川沿岸で、7月29日に南軍と遭遇した。南軍の騎兵隊が立ち回って北軍を破り、多くを捕虜にした(スターリング・プランテーションの戦い)。
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