AMX 50 "120 mm"
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「AMX-50」の記事における「AMX 50 "120 mm"」の解説
第三のAMX-50計画が1951年の8月に開始された。先行型10両がDEFA (Direction des Études et Fabrications d'Armement)によって製作され、最初に完成したのは1953年である。このタイプはIS-3やT-10などソ連軍重戦車の脅威への対応のため、120mm砲を搭載したものである。大型の火砲を装備するために砲塔も大型化し、このタイプでも揺動砲塔の採用が決定した。装甲も増強されている。これらの改良のために重量は59.2トンまで増加している。1954年から1955年までこのタイプをさらに重戦車化することが目指され、surblindéと呼ばれる、IS-3のような低い砲塔に高い車体を持ち、重量は64トンに達するAMX-50装甲増強型が製作された。この過程でサスペンションの補強も行われたが、機械的な信頼性のために、1956年から1958年にかけ、車体全高を低めることで57.8トンまで重量低減が試みられた。これはsurbaisséという車高低減型として生産されたが、砲塔は再び背の高いTourelle D(第4の砲塔)となった。これまでマイバッハのエンジンを使い続けてきたが、出力1,000馬力が望まれており、1955年に特別に組まれた設計陣がドイツとの協力を得て開発に取り組んだ。楽観的に見積もって65km/hにまで速度は向上するように計画された。AMX-50は最終型を含めて5種類のプロトタイプが製作された。 1950年に、M4の車体をベースにした戦車駆逐車として120mm自走砲が作られた。この車両はフェルディナン・フォッシュから名前を取り、Canon Automoteur AMX 50 Fochと名付けられ、プロトタイプが完成した。これはAMX-50 100mm戦車に長距離からの砲撃支援を提供する目的で開発されたが、120mm型が開発されたため計画が破棄された。
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