AMX M4とは? わかりやすく解説

AMX M4

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 05:06 UTC 版)

AMX-50」の記事における「AMX M4」の解説

第二次世界大戦後時代遅れ重戦車固執していたフランス陸軍ARL-44開発したが、この車両強力な90mm砲を装備していたものの、サスペンション旧式近代的とは言いたかったそうした経緯から、戦争終結間際1945年3月にはすでに、フランス工業界ではさらに申し分のない性能を持つ戦車開発取り組み始めた同年イシー=レ=ムリノー工廠(仏,Atelier de Construction d'Issy-les-Moulineaux)はM4と呼ばれるシュナイダーの90mm砲を搭載したプロトタイプ開発計画プロジェクト141提出した。 このM4はドイツティーガーII概形としては非常に良く似ているが、砲塔溶接され区画構成される要求され30トン重量制限のため装甲はむしろ薄く最大でたった30mmでしかない戦争後期ドイツ戦車装備してたような互いに重なり合った千鳥配置転輪装備していた(この車両転輪数は8である)。この計画一部には、近代的なトーションバーサスペンションの研究の意味合い含まれた。 M4の試作車両は2両が発注された。陸軍はすぐ、30mmの防御性能あまりにも低いと判断し、これに応じて装甲増強を図ることとなった重量当初の計画通りに保つため、FAMHによって設計され奇抜な揺動砲塔英語版)を搭載することになった。それでも予定重量置き換えられ1949年製作され試作車両の重量は53.7トンになり、名称もAMX-50となった。さらに、1950年の冬に武装を90mm砲からArsenal de Tarbes開発した100mm砲に換装することになる。砲塔わずかに設計変更100mm砲を搭載した試作車両はすぐに完成した。この試作車両は長さ10.43m(砲身込み)、全幅3.4m、高さ3.41mであった当時配備されていた中戦車よりも優れた速度を得るために1200馬力エンジン搭載することも企画された。マイバッハHL295(1945年フリードリヒスハーフェン工兵大将Joseph Moliniéがドイツから接収)およびSaurerディーゼルエンジンテストされたが、両方とも、当初予定されていた最高速度51km/hを達成できなかった。この試作車両は1950年から1952年の間にテストされた。 AMXでは、1946年から並行してM4の車体ベース近代的な傾斜装甲採用したAMX Chasseur de Charという軽装甲34トン戦車駆逐車開発したが、試作車両すら製作されなかった。

※この「AMX M4」の解説は、「AMX-50」の解説の一部です。
「AMX M4」を含む「AMX-50」の記事については、「AMX-50」の概要を参照ください。

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