AラインBラインの誕生経緯とは? わかりやすく解説

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Aライン・Bラインの誕生経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 05:35 UTC 版)

JFNラインネット番組」の記事における「Aライン・Bラインの誕生経緯」の解説

1983年までには、関東地方で初の民放FM局エフエム東京中心とした番組供給ネットワーク組織、「JFN」が組まれていた。参加局は他に、エフエム愛知当初参加局エフエム大阪エフエム福岡エフエム北海道エフエム仙台静岡エフエム放送広島エフエム放送エフエム愛媛エフエム長崎)である。この時期までに開局した、静岡までを通称Aライン」と呼んでいる。なお、エフエム石川も「Aライン」局と同時期に周波数割り当てがあったが、テレビ局新設こじれたため、開局タイミング逃したその後、各道府県ごとに1つFM局周波数割り当てられることになった。「Aライン」では、狭い区域限られた先発局と、放送エリアが広い区域(県域の50%超)の後発局で重複することが予想された。 本来、後発局はスポンサー兼ね合いリスナー差別化観点から、別番組を流す方が良い。しかし、開局間もないことから番組制作力が極端に低く番組編成支障をきたす可能性があった。このため、「Aライン」とは別にエリア規模などから算出され一定の使用料払えば、いつでも任意番組編成ができる第二配信網、「Bライン」が作られることになった。これ以降開局したFM局は、主に日中に「Bライン」の番組供給受けた。 「Bライン」の存在注目されたのは、1985年である。6月三重エフエム放送が、10月エフエム群馬開局した。両局は共に「Bライン」から番組供給受けてきた。両局の開局後しばらくして日本FM局初めて、恒常的に24時間放送開始できたのも、「Bライン」の番組供給存在大きい。 「Aライン」として開局した局のうち、仙台広島静岡長崎では、JFN設立直後から「Bライン」相当番組の一部ネットし、現在に至っている。2007年から大阪JFN準キー局)でも「Bライン」相当番組が放送されるようになった関東地方で「Bライン」に入っているのは群馬エフエム栃木のみである。また2020年9月よりJFN特別加盟局となったInterFM897では、同年11月より放送対象地域重複するエフエム東京放送されていないものに限り「Bライン」相当番組のネット開始したエフエム富士開局当初は「Bラインであったが、開局4年後にJFN離脱独立局となった

※この「Aライン・Bラインの誕生経緯」の解説は、「JFNラインネット番組」の解説の一部です。
「Aライン・Bラインの誕生経緯」を含む「JFNラインネット番組」の記事については、「JFNラインネット番組」の概要を参照ください。

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