5枚の絵の経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 17:39 UTC 版)
「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」の記事における「5枚の絵の経歴」の解説
原画は1812年までマドリードにあったが、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王を廃位されたときに撤去された。アメリカ亡命に際してジョゼフはこの絵を持ち運び、ニュージャージー州ボーデンタウンのポイント・ブリーズ邸に掛けていた。作品は子孫に受け継がれ、1949年、曾孫のウジェニー・ボナパルト死去に際してマルメゾン城の美術館に寄贈された。 1801年以降サン・クルー城に掛かっていた絵は、1814年プロイセン王の指示で、フォン・ブリュッヘル指揮の軍に持ち出された。現在は、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に展示されている。 1802年に複製されアンヴァリッドに掛けられていた絵は、1814年のブルボンの王政復古に際し、はずされて倉庫保管となった。しかし1837年にルイ・フィリップの指示でヴェルサイユ宮殿の美術館に展示され、現在もここで見ることができる。 1803年制作の絵はミラノに届けられ、1816年にはオーストリアに押収されそうになったがミラノの人々がこれに抵抗、1825年まではミラノに残っていた。最終的に1834年、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿に納められた。オーストリア・ギャラリーのコレクションの一つとして、現在も宮殿内に展示されている。 1825年にダヴィッドが死去するまで彼に保管されていた絵は、1846年にショッピング・センター (Bazar Bonne-Nouvelle) に展示された。ボードレールはここで絵を見て論評している。1850年、ダヴィッドの娘ポーリーヌ・ジェニーンによりテュイルリー宮殿に納められ、1979年にはヴェルサイユ宮殿の美術館に移された。
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