5枚の「死の島」とは? わかりやすく解説

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5枚の「死の島」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 04:21 UTC 版)

死の島 (ベックリン)」の記事における「5枚の「死の島」」の解説

May 1880 - Oil on canvas; 111 x 115 cm; バーゼル市立美術館. June 1880 - Oil on board; 74 x 122 cm; メトロポリタン美術館 1883 - Oil on board; 80 x 150 cm; 旧国立美術館, ベルリン美術館. 1884 - Oil on copper; 81 x 151 cm; 第二次世界大戦中焼失 1886 - Oil on board; 80 x 150 cm; ライプツィヒ造形美術館 ベックリンパトロンのアレクサンダー・ギュンターのために最初ヴァージョン完成させたのは1880年5月のことだったが、そのまま絵を引き渡すことはしなかった。4月になって作業続いていたが、その頃ベックリンアトリエをマリー・ベルナという女性訪ねている(当時金融家ゲオルク・フォン・ベルナ博士未亡人だったが、その後すぐにドイツの政治家オリオラ伯ヴァルデマー夫人となる)。完成半ばイーゼル置かれていた最初ヴァージョン(「バーゼル版」)の「夢のようなイメージ」に感動したベルナのために、ベックリン一回り小さな絵を板の上描いたのだ(「ニューヨーク版」)。ベルナ望み聞いて何年前にジフテリア亡くなった彼女の夫をしのばせる女性の姿が描き加えられた。結果からいえば、これらの要素最初のものにはなかったということになる。そして一連の作品を、ベックリンDie Gräberinsel (墓の島)と呼んだ.(最初ヴァージョンバーゼルニューヨークどちらのものかでしばしば混乱がある)。 3枚目は1883年に、取引のあった画商のフリッツ・グルリットのために描かれた。以降のものには、右手岩壁にある墓所一つベックリン自身イニシャルである「"A.B."」が入っている。無名画商から受けた仕事だからできたことであるが、絵の核心部分への署名は、島の記念碑性を高めとともにそこが画家の墓であることを確認するものともいえるかもしれない1933年にこのヴァージョン売り出されベックリン信奉者として知られるアドルフ・ヒトラーがそれを入手した。はじめオーバーザルツベルクにあったヒトラー別荘ベルクホーフ置かれたが、1940年からはベルリン総統官邸掛けられるようになった今はベルリン旧国立美術館所蔵されている。 そして経済的な理由迫られて4目が1884年描かれた。最終的にこれを手にしたのは起業家でアート・コレクターのハインリヒ・ティッセンで、彼の所有するベルリン銀行の子会社飾られた。第二次世界大戦爆撃焼失しており、白黒写真しか残されていない。 5目はライプツィヒ美術館依頼1886年描かれ、いまもそこに展示されている。

※この「5枚の「死の島」」の解説は、「死の島 (ベックリン)」の解説の一部です。
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