3つの端末とARPA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:22 UTC 版)
「インターネットの歴史」の記事における「3つの端末とARPA」の解説
詳細は「ARPANET」を参照 世界規模のネットワークを生み出すきっかけを作った先駆者J・C・R・リックライダーは、そのアイデアを1960年1月の論文 Man-Computer Symbiosis で明らかにしている。 広帯域の通信線で互いに接続された、そのような(コンピュータの)ネットワークは、こんにちの図書館のような機能(を提供する)と共に情報格納・検索などの記号的機能を進化させると期待される。 —J・C・R・リックライダー、 1962年8月、リックライダーとウェルデン・クラークは論文 "On-Line Man Computer Communication" を発表。ネットワーク化された未来を描いた初期の文献の1つである。 1962年10月、ARPA局長ジャック・ルイナ(英語版)は新たに創設した部門である Information Processing Techniques Office (IPTO) の部長としてリックライダーを雇い、シャイアン山とペンタゴンとSAC本部にあったアメリカ国防総省のメインコンピュータ同士の相互接続を命じた。そこでリックライダーはARPA内で非公式のグループを結成し、コンピュータの研究を進めさせた。IPTOスタッフへのメモで分散ネットワークを描いており、その中で部下や同僚たちを「銀河間コンピュータネットワークのメンバーと関係者」と呼んでいる。IPTOの役割の一部として、3台のネットワーク端末を設置した。1つはサンタモニカの System Development Corporation に、1つはカリフォルニア大学バークレー校の Project GENIE に、残る1つはマサチューセッツ工科大学 (MIT) のCTSSプロジェクトに接続した。この設備の無駄からリックライダーの考えるインターネットワーキングの必要性が明らかとなった。 「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPAnet だ」 —ロバート・W・テイラー、リックライダーの "The Computer as a Communications Device" の共著者がニューヨーク・タイムズのインタビューで語った話、 彼は1964年にIPTOを離れ、ARPANETが誕生したのはその5年後である。しかし彼のネットワークのビジョンが、ローレンス・ロバーツやロバート・テイラーといった後継者をARPANET開発へと導く原動力となった。1973年から2年間、リックライダーはIPTOの責任者として復帰している。
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