2001年5月場所14日目貴乃花戦
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「武双山正士」の記事における「2001年5月場所14日目貴乃花戦」の解説
武双山はこの場所初日から13連勝の貴乃花と対戦した。貴乃花は左差し右上手を引きつけて投げを交えて振るが、一枚廻しなので思うように武双山は崩れず、最終的に武双山は貴乃花を巻き落としで下す。だが貴乃花は武双山の巻き落としに落ちた際に右膝亜脱臼の重傷を負ってしまった。 取組後の夜に貴乃花は師匠の二子山(元大関・貴ノ花)から休場勧告を受ける。しかし強行出場した貴乃花は千秋楽結びの一番で武蔵丸と対戦し、まず本割では仕切り中に足を引きずる動作からとても相撲が取れる状態でないと衆目から判断され、その心配通りに武蔵丸の軽い突き落としで立合い直後に敗れる。だが13勝同士で武蔵丸と戦った決定戦では大方の予想を覆し、豪快な上手投げで勝利。この優勝劇は当時の内閣総理大臣である小泉純一郎が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と興奮を露わにして称賛しつつ内閣総理大臣杯を手渡す一幕に大きく印象付けられた。 他方で武双山は一部の相撲ファンから「貴乃花が怪我をしたことに武双山のユルフンが関係している」と批判されるようになり、場所直後の読売新聞の記事には「ケガの一因が、武双山の緩く締めたまわしにあった」と明記されていた。武双山に限らずユルフンの力士は当時の土俵上で珍しくなく、ユルフンが戦略として蔓延していることも同じ記事の上で問題になっていた(ただし脚注にあるとおり、武双山の場合は腰痛が原因できつく締められなかった)。当時理事長であった時津風も「正々堂々を是とする相撲道に反する行為」としてたびたび苦言を呈してきた。武蔵丸も自身と同部屋の大関・武双山との取組が原因で貴乃花が重傷を負ったことを負い目に思ったのか件の場所の決定戦で通常考えられない敗北を喫してしまい、これが武蔵丸の評価を下げてしまった。 小泉の絶叫が社会現象にもなって、武双山はすっかりヒールになってしまった。気心の知れた店へ食事にいっても、この話題を避ける雰囲気が武双山に伝わって来た。人気の貴乃花に大怪我を負わせたことで部屋には非難、中傷のはがきが舞い込んだ。読む気にもならない、感情的な文面もあったため、付け人が気を使い、武双山の目に触れさせないように処分したことがある。
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