2000年以降の動きとは? わかりやすく解説

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2000年以降の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:59 UTC 版)

神奈川東部方面線」の記事における「2000年以降の動き」の解説

2000年平成12年1月運輸政策審議会第18号答申において「神奈川東部方面線仮称)」として、二俣川 - 新横浜 - 大倉山路線新設し大倉山駅において東京急行電鉄東横線相互直通運転を行うとされた。相鉄当初神奈川東部方面線という計画について、ターミナルである横浜駅乗客減少するという致命的な理由始めとするいくつかの問題点からこの計画乗り気ではなかった。しかし、少子高齢化による乗客数減少という将来見据えて考え一転させ、東京都心および埼玉県方面への乗り入れに対して意欲的な姿勢をとるようになった。そして、2004年9月路線利便性高めるために横浜駅経由しないJRとの直通運転計画踏み切ることになった2005年平成17年)に都市鉄道利便推進法が成立し、「速達性向事業」による整備が可能となった。「速達性向事業」は受益活用上下分離方式都市鉄道整備方式として初め導入した制度である。事業費負担は国および地方公共団体からの補助金としてそれぞれ3分の1残り3分の1整備主体による借入金である。営業主体受益範囲内整備主体施設使用料支払い列車運行する整備主体営業主体支払施設使用料借入金償還充てる。これにより、鉄道事業者莫大な新設建設費直接負担することなく新線整備することが可能となった相鉄JR計画は、神奈川県横浜市計画していた「神奈川東部方面線」に近いものであったが、交通結節点新横浜駅経由しないため、新たな計画実現した場合期待される効果は、県央部から都心への時間短縮効果のみであった。そのため、県や市は「そのまま計画では効果が薄い」として計画介入行った。さらに、この計画実現すれば横浜駅相鉄から東横線乗り換えて東京都心へと向かう乗客JR奪われることを危惧した東急2005年度末頃から計画参加することになる。その結果相鉄JR直通運転計画据え置きつつ、さらにこれを延伸するという形で費用増えるものの新横浜駅経由した東急との直通運転も行うということ得られる効果がより多い「神奈川東部方面線」として整備して行くこととなった。 なお、第7号答申および第18号答申に基づき目蒲線多摩川駅分割され目黒線となり、2000年平成12年)に三田線および南北線相互直通運転開始した2008年平成20年)までに東横線 多摩川駅 - 日吉駅間の複々線化工事完了し日吉駅まで目黒線乗り入れている。

※この「2000年以降の動き」の解説は、「神奈川東部方面線」の解説の一部です。
「2000年以降の動き」を含む「神奈川東部方面線」の記事については、「神奈川東部方面線」の概要を参照ください。

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