1993年大合併後のノイルピーン
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「ノイルピーン」の記事における「1993年大合併後のノイルピーン」の解説
個々の編入地区の歴史は個別記事を参照。本節では都市全体、特に中心部の歴史のみを扱う。 郡の再編が1993年12月6日に実施され、ノイルピーン郡は新設のオストプリーグニッツ=ルピーン郡に吸収された。同日ノイルピーンは都市アルト・ルピーン、また自治体であるブースコウ、グネーヴィコウ、ギューレン=グリーニッケ、カルヴェ、クランゲン、リヒテンベルク、モルヒョウ、ニートヴェルダー、ラーデンスレーベン、シュテフィーン、ヴルコウ、ヴーテノウを合併し、大幅に拡大した。 1991年までノイルピーンにはソ連軍第12戦車師団が駐屯していた。兵舎は後に2000年のハノーファー万国博覧会の外部プロジェクトとして住宅に改装された。飛行場の一部はグライダー滑空場として利用されている。 1996年には当時の州立ノイルピーン総合病院 (Landesklinik Neuruppin) と地区病院であるルピーン病院 (Ruppiner Krankenhaus) が共に、オストプリーグニッツ=ルピーン郡によるルピーン総合病院有限会社 (Ruppiner Kliniken GmbH) に移管された。ルピーン総合病院は地域最大の雇用主の一つである。 福音派のルピーン教区とヴィットシュトック/ドッセ(ドイツ語版)教区が1998年に合併すると、ノイルピーン教会地区長(ドイツ語版)は廃止され、ヴィットシュトック/ドッセが担当している。 2001年1月1日に検察は、東ドイツ不法行為対策部および地区刑事部 (Abteilung für DDR-Unrecht und Bezirkskriminalität) を改組し、汚職特別捜査部 (Schwerpunktstaatsanwaltschaft für Korruption) を設置し、ブランデンブルク州全体の汚職事件を担当している。 2002年9月7日、第7回「ブランデンブルクの日 (Brandenburgtag)」が約23万の訪問者を集め開催された。ザクセン州を襲った2002年エルベ川洪水(ドイツ語版)に際し、数多くのアーティスト、ウード・リンデンベルク(ドイツ語版)やゲルハルト・シェーネ(ドイツ語版)らが被災者のために報酬を寄付した。 2009年5月、ルピーン湖(ドイツ語版)畔の開発区域の地下水が有機ハロゲン化合物で汚染されていたことが初めて公表された。管轄の環境当局であるオストプリーグニッツ=ルピーン郡が認めたことだが、この環境汚染は以前にも別件の建設計画時で検出され、1999年から既知の事実であったという。 ノイルピーン塩化物泉温泉 (Thermalsole Neuruppin) はヨウ素を含み、2011年5月12日に療養泉 (Heilquelle) として国家から認定を受けた。これはブランデンブルク州内で初の認定であった。 塩化物泉温泉は、旧市街近くのフォンターネ・テルメ (Fontane-Therme) で健康促進に、また暖房に利用されている。
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