1990年、ヘリコプター事故
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「アレッサンドロ・ナニーニ」の記事における「1990年、ヘリコプター事故」の解説
1990年もベネトンに残留。新チームメイトである元ワールドチャンピオン、ネルソン・ピケが開幕から連続入賞を重ねていたのに対し、ナニーニは獲得ポイントでピケの後塵を拝していた。しかし双方が完走したレースでは、ほぼ毎回ピケの前でフィニッシュし、第9戦ドイツGPや第10戦ハンガリーGPでは優勝もちらつくレースを展開するなど、存在をアピールしていた。 そんなナニーニに、名門フェラーリが目を付けた。ナイジェル・マンセルのウィリアムズ移籍を発表し、その後釜にベネトンとの契約延長を発表したばかりであったナニーニを引き抜こうと画策。フェラーリ監督のチェーザレ・フィオリオとベネトン監督のフラビオ・ブリアトーレとの間ではフェラーリ移籍の方向で話が進められ、第12戦イタリアGP時には契約譲渡寸前となっていた。しかしその翌週、スイスのルガーノでの正式調印式でフェラーリからナニーニに提示された契約書では、事前合意の時の条件からフェラーリ側が変更していた部分があり、2年契約を希望したところ1年契約となっていた点、プロストが完全No.1でありナニーニにはTカーの使用権が一切無い点など、食い違いが生じた。さらにはウィリアムズやティレルとの獲得合戦となっていたジャン・アレジを第一候補としていたフェラーリ側の態度(後述)などに不信感を強めた結果交渉は土壇場で決裂。9月14日にベネトンが改めてナニーニの来季ベネトン残留を発表、直後の9月18日にフェラーリからアレジ獲得の発表がされた。ナニーニは「イタリア人としてフェラーリは夢だけど、将来のチャンスを慎重に検討して91年もベネトンに残ることにした。フェラーリは僕の希望したことを何も保証してくれなかった。」とコメントを残した。 フェラーリとの契約破談後の9月30日、第14戦スペインGPでナニーニは3位となり、この年3度目の表彰台に立つ。しかしこのレースで1・2フィニッシュを決めたフェラーリ勢とシャンパンファイトをすることを嫌がり、早々と表彰台から姿を消した。結果的に、このスペインGPがナニーニのF1での最後のレースとなった。続く日本GP直前の10月12日、ナニーニを含む4人が搭乗していた自家用ヘリコプター「エキュレイユAS350B」(自身が1週間前に中古購入した直後であった)が、シエナ郊外にあるナニーニ家の別荘敷地内で着陸に失敗し墜落、その際にヘリのローターで右腕の肘と手首の間を切断する重傷を負いチームを離脱した。 予選成績では、ピケに対し14戦中5戦で上回った。
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