1932年2月場所番付とは? わかりやすく解説

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1932年2月場所番付

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 06:29 UTC 版)

春秋園事件」の記事における「1932年2月場所番付」の解説

凡例 残留幕内力士 十両より抜擢 幕下より抜擢幕内 西 玉錦三右エ門粂川大関 武藏山武出羽海能代潟錦作錦島大関 幡瀬川邦七郎伊勢ヶ濱関脇 清水川元吉二十山髙登渉高砂小結 沖ツ海福雄若藤若葉山鐘二十山前頭1 吉野山要次郎立浪大潮清治郎陸奥前頭2 古賀ノ浦茂宮城野旭川幸之焏立浪前頭3 若瀬川栄藏伊勢ヶ濱大ノ濵勝治立浪前頭4 双葉山定次立浪出羽ノ花國市出羽海前頭5 國ノ濱源逸井筒射水川成吉高砂前頭6 鷹城山多作振分前頭7 瓊ノ浦勇雄出羽海) 東 十両 西 吉ノ石留吉出羽海)(再) 十両1 大邱山高祥出羽海若紋龍政五郎時津風十両2 大八洲晃立浪初島徳郎(友綱十両3 開月勘太郎花籠)(再) 鳥ヶ峰吉五郎宮城野)(再) 十両4 巴潟誠一高島松前山熊義高島十両5 七尾潟直右エ門立浪仙臺静出羽海十両6 越ノ海東治郎若藤)(再) 秋田嶽由蔵春日野十両7 土州山好一郎二子山大浪妙博高島十両8 愛ノ花初義押尾川)(再) 雷山勇吉伊勢ノ海十両9 常陽山正治出羽海濱ノ石政吉出羽海十両10 島和泉清出羽海) この番付では張出を作らなかったため、東大関(二番手)の能代潟の次は西関脇清水川、これ以降幕内西から東へ序列となっている。 幕内幕下力士持ち上げる程であることから、当然、十両力士2月場所番付では東西10ずつの20名)は東西幕下4目から13目までの幕下力士充足させた(西幕下3枚目の大高山新興力士団に加わって脱退)。なお、この際幕下から幕内持ち上げられた5名のうち、瓊ノ浦だけは当時まだ十両経験無く引退まで陥落することも無かったために、昭和以降唯一の十両経験が全く無い幕内力士となった。この場所は繰り上げ影響によって、新入幕8名(1名は1月場所番付での新入幕)に加え新十両15名も存在するという空前絶後のものとなった2月22日より本場所が行なわれ、脱退した力士48名(資格者)と式守伊三郎ら行司4名は、全員2月23日付で除名処分とされた。しかし、当時人気力士多く抜けたことに加えて世間興味天竜一派向いていたため、8日間行なわれた2月場所は人数不足と急造番付という状況であったため、取組従来東西制廃止して系統別総当たり制実施した。これによって従来組まれなかった対戦組まれ、さらに入場料下げられるなどの点があったにも関わらず観客少なく収入従来1日分にしかならなかった。

※この「1932年2月場所番付」の解説は、「春秋園事件」の解説の一部です。
「1932年2月場所番付」を含む「春秋園事件」の記事については、「春秋園事件」の概要を参照ください。

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