1932年の大改訂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 19:46 UTC 版)
前述のように初めて発行された『満州唱歌集』には著名作家による歌が多く収録されたが、その多くは必ずしも満州の風土・風物が反映されたものではなく、編集部内部からも「満州の景物に接しない内地の名家が、果たして真に満州の子どもに適した郷土材料を作成することができるか」という批判が上がった。さらに子供が歌うには曲が難解であるという批判もなされた。 1932年(昭和7年)に大幅な改訂がなされ、批判の強かった著名作家による作品の多くが削除され、かわりに園山民平・村岡昊・島田英雄・石森延男ら編集部員の手による、満州の風土が強く反映された歌が多く掲載された。それらの歌にはロバ、やなぎのわた、高粱、高足踊り、馬車(マーチョ)、粉雪、杏の花、山ざし売り、満州に逃れてきた白系ロシア人のパン売りといった満州になじみの深い風物や、当時の満州の子供たちが盛んに行ったスケート遊び(『わたしたち』)、毎年旧暦の4月中旬に行われた娘々祭(『娘々祭』)などが読み込まれた。 なお、この改定で削除された北原白秋作詞の『ペチカ』は本土の教科書に掲載され、その後の日本において広く親しまれるようになる。同様の作品に、1940年の大改訂で削除された『待ちぼうけ』がある。
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