1932年オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 16:43 UTC 版)
「ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス」の記事における「1932年オリンピック」の解説
1932年のロサンゼルスオリンピックではフィールド競技とトラック競技を合わせて3種目に出場して4つの世界記録を生み、金メダル2個と銀メダル1個を獲得した。80メートルハードルでは予選で世界記録に並ぶ11.8秒を記録し、決勝では11.7秒で金メダル。やり投では 43.69メートルのオリンピック記録で金メダル。走高跳は銀メダルだったが、このときも世界記録と同一の1.657メートルを跳んだ。仲良しのアメリカ選手ジーン・シャイリー(英語版)も同じく1.657メートルを跳び、ハードルを1.67メートルに上げたときに、なぜかシャイリーの金メダルが決定された。直前のディドリクソンの跳躍法がルール違反だったとの理由による。だがこの裁定には当時より疑問が挙げられている。ディドリクソンは全ての跳躍を同じフォーム(跳躍前に頭がバーの向こう側に出ている)でおこなったが、当時これ自体を禁止する何等のルールも存在しなかったこと、および百歩譲って跳躍法違反であれば競技失格にならなければならないが、実際には銀メダルを与えられていること、などによる。これは論争となったが、銀メダルは覆らなかった。 ディドリクソンはトラックとフィールドの両方の競技を行い、競走、投擲、跳躍それぞれでメダルを獲得した、男女を問わずただ一人のアスリートだった。
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