1863年の規則
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「サッカー競技規則」の記事における「1863年の規則」の解説
1863年の規則は初めエベネーザー・コッブ・モーリー(英語版)によって起草され、新たに設立されたFAの会合において1863年12月8日に承認された。「協会式(アソシエーション)」フットボール(つまりサッカー)はこの時に始まったと考えることができ、この規則を採用しなかったクラブで行われていた競技はラグビーフットボールへと発展した。 1863年12月5日に承認され、『ベルズ・ライフ・イン・ロンドン(英語版)』で公開された1863年のフットボール協会規則は以下の通りである。 グラウンドの最大長は200ヤード (183 m)、最大幅は100ヤード (91 m)、長さと幅は旗によって目印を付けるものとする; ゴールは、ひもや棒が渡されていない、8ヤード(7.3メートル)離れて立てられた2本の直立したポストで定義されるものとする。 陣地を決めるためのコイン投げを行うものとし、試合はコイン投げで負けた側によるグラウンド中央からのプレースキックで開始するものとする; 相手側はキックオフされるまでボールの10ヤード (9.1 m)以内に接近してはならない。 ゴール(得点)が決まった後、決められた側はキックオフの資格を得るものとし、ゴールが決まるたびに陣地を交換するものとする。 ゴールは、ボールを投げたり、前に落としたり(ノックオン)、手で持って運んだりすることなく、ボールがゴールポストの間あるいはゴールポストの間の空間の上を(どんな高さでも)通過した時に得点となるものとする。 ボールがタッチ(タッチラインの外側)にある時、ボールに最初に触れた(タッチした)選手が、ボールがグラウンドを出た境界線上の地点から、境界線から直角の方向に向けてボールを投げるものとし、ボールがグラウンドに触れるまではプレー中(イン・プレー)ではないものとする。 選手がボールを蹴った時、相手側のゴールラインに近い方に位置している味方チームの選手は全員プレー外(アウト・オブ・プレー)であり、イン・プレーになるまでボールに触れたり、ボールに触れようとするその他の選手をいかなる方法でも妨害してはならない; しかし、ゴールラインの後方からボールがキックオフされた時はどの選手もプレー外ではない。 ボールがゴールラインの後方へ行った場合、もしゴールを守る側の選手が初めてボールに触れたならば、そのチームの選手は、ボールが触れられた場所のゴールラインを挟んで反対側の地点からのフリーキックの権利を得るものとする。もしゴールを攻める側の選手が初めてボールに触れたならば、そのチームの選手は、ボールが触れられた場所のゴールラインを挟んで反対側、ゴールラインの外(註: グラウンドの中)15ヤード (14 m)地点からゴールに向けたフリーキックの権利を得るものとし、相手側はフリーキックが行われるまでゴールラインの内(グラウンドの外)にいなければならない。 もし選手が速やかに踵で地面に印(マーク)をつけフェアキャッチを行ったら、その選手はフリーキックの権利を得るものとする; そのようなキックを行うためにその選手は望むだけ後方へ下がってよく、相手側の選手は彼がキックするまで付けられた印を越えて進んではならない。 ボールを持って走ってはならない。 トリッピング(足を掛けて転ばせる)あるいはハッキング(相手の脛を蹴る)は禁止とし、手を使って敵を押さえたり、押したりしてはならない。 手を使ってボールを投げたり、パスをしたりしてはならない。 いかなる場合でもプレー中は手でグラウンドからボールを拾い上げてはならない。 ブーツのソール(靴底)あるいはヒール(かかと)に、突き出たくぎ、鉄製の板、あるいはガタパーチャを装着してはならない。 『ベルズ・ライフ・イン・ロンドン』が報道するところによると、FAが承認した12月8日の会合において、ポケットサイズ版は1シリング、クラブルーム用のより大きな版は1シリング6ペンスで印刷できると述べたジョン・リリーホワイトが、この規則を出版することとなった。
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