1863年の戦場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 14:19 UTC 版)
「ゲティスバーグの古戦場」の記事における「1863年の戦場」の解説
この町は近くのペンシルベニア州とメリーランド州の町を繋ぐ道路網の中心にあり、チェンバーズバーグ、ヨークおよびボルティモアに向かう管理状態の良いターンパイク(有料道路)もあったので、その道を下ってきた大規模な軍隊が自然と集まる地形にあった。 北西には一連の低い平行に伸びる尾根がキャッシュタウンやチェンバーズバーグの町に繋がっている。ゲティスバーグに一番近いセミナリーリッジはその頂部にあるルーテル派神学校に因んで名付けられている。その外側にはマックファーソンリッジ、ヘルズリッジ、そして最後にサウス山がある。セミナリーリッジの北に延びたオークリッジにはオークヒルがあり、町の北を見張らせる砲台の適地である。 町の直ぐ南には標高503フィート (153 m) のセメタリーヒルがあり、町との高低差80フィート (24 m) のなだらかな斜面がある。この丘はその頂部にエバーグリーン墓地(民間所有)があるのでそう名付けられた。エイブラハム・リンカーンによって除幕された有名なゲティスバーグ軍人墓地はこの丘の一部にある。これに隣接して東には同じような標高のカルプスヒルがあり、わずかな鞍部で2つの識別できる丘に分かれ、樹木が多く、また岩も多い。セメタリーヒルとカルプスヒルはリチャード・イーウェルの第2軍団によって戦闘の間猛攻にあった。 セメタリーヒルから南に延びているのはセメタリーリッジと呼ばれるやや高い地形であるが、リッジ(尾根)という言葉を使うほどのものではなく、周りの地形との標高差は40フィート (12 m) に過ぎず、リトルラウンドトップまで斜面があって低く樹木のある土地となっている。セメタリーリッジの北端には樹木の群落と、2箇所で90度に折れ曲がった石壁がある。この折れ曲がった場所は「アングル」という渾名があり、また南軍の「最高到達点」でもある。この地域と近くのエミッツバーグ道路上のコドリ農園は戦い3日目のピケットの突撃が進行した場所であり、2日目にもリチャード・H・アンダーソン師団の猛攻があった。 この風景で目立つのが南のラウンドトップである。リトルラウンドトップは岩の多い、近くのプラムランからの標高差で130フィート (40 m)の急斜面があり(標高は海抜550フィート (168 m) である)、巨岩がゴロゴロしている丘である。その南西に最も目立つ巨石群があり、その幾つかは居間ほどの大きさがあり、デビルズデン(悪魔の住み家)と呼ばれている。当時の地元の者にはシュガーローフとも呼ばれていたビッグラウンドトップはリトルラウンドトップよりも116フィート (35 m)高い。その急斜面は樹木が多く、その高さを馬に曳かせた大砲を昇らせ、周りの樹木を払うという労力なしでは大砲を据えるに向かなくしていた。リトルラウンドトップには樹木が無いが、その急斜面と岩の多い地形のために、大砲を大量に引き上げるのは難しかった。しかし、セメタリーヒルは砲台に最も適した場所であり、セメタリーリッジの北軍前線やそれに近付く地域をすべて見通すことができる。リトルラウンドトップとデビルズデンは戦闘の2日目、ジェイムズ・ロングストリート軍団のジョン・ベル・フッド師団による猛攻の重要な地点だった。2つのラウンドトップの間のプラムランとデビルズデンによって構成される渓谷は、当時「死の谷」という名前を貰った。 ラウンドトップから北西、エミッツバーグ道路の方向に、小麦畑、ローズウッドの林、および桃の果樹園がある。2日目の戦闘でダニエル・シックルズ将軍が注目した様に、この地域はセメタリーリッジ南端の低地から約40フィート (12 m) 高い。これらの地域は戦闘2日目のラファイエット・マクローズ師団による猛攻の舞台となった。
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