1814-1823年 ロンドン時代 ピアニスト、教師、ビジネスマンとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 19:42 UTC 版)
「フリードリヒ・カルクブレンナー」の記事における「1814-1823年 ロンドン時代 ピアニスト、教師、ビジネスマンとして」の解説
1814年から1823年にかけて、カルクブレンナーはイングランドに住んでいた。彼は大いに演奏、かつ作曲し、またピアノ教師としての成功を確かなものにしていった。この地でビジネスマンとして抜け目のない人物だった彼は、John Bernald Logierによるある発明品に出会う。それはchiroplastもしくはhand guideと呼ばれるものであった。chiroplastはマホガニーの木でできた二つの平行なレールから成る仕組みであり、脚の上においてピアノにゆるく固定して使用する。この装置は腕の縦方向への移動を制限することで、ピアノ初学者が正しい手の位置を(自ら気付いて)体得する補助器具であった。少年期にこの装置を使って稽古をしたサン=サーンスはこう述べている 「カルクブレンナーの方法論の序文は、最初に自分の発明に関して述べられており、これが実に興味深い。この発明は鍵盤の前に置かれる棒でできている。この棒の上に前腕を乗せることにより、手の動きを邪魔するようなあらゆる筋肉の動きを抑制した状態にして腕を休ませることが出来る。この仕組みはハープシコードや初期のピアノフォルテのように、少しの圧力で打鍵できる楽器のために書かれた曲をいかに演奏すべきか、若いピアニストに教えるにあたっては素晴らしいものだ。しかし、現代の作品や楽器には適していない」。 便利かどうかは別としても、この珍妙な仕掛けは楽々と成功を収めたのであった。1870年代になっても、ロンドンではchiroplastを買って手に入れることが出来たという記録が複数あるほどだ。1817年にLogierはカルクブレンナーと組み、音楽理論とピアノ奏法を教える協会を設立した。もちろん、chiroplastの助けを借りてである。この特許収入によってカルクブレンナーは金持ちになった。1821年にはモシェレスもまたロンドンに移り住んだ。モシェレスの力強く完成された演奏はカルクブレンナーに多大な影響を与え、彼はロンドンに居る時間を自分の技術をより磨くために使ったのだった。
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