山梨馬車鉄道とは? わかりやすく解説

山梨馬車鉄道

(鰍沢馬車鉄道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 07:16 UTC 版)

名称、距離は今尾 (2008)
本文も参照


  1. ^ 山梨交通の社史によれば、当線の後継路線である山梨交通電車線「ボロ電」と呼ばれており、これらの一見悪口にも見える愛称は地元独特の愛情表現ではないかと推測されている。
  2. ^ この時の終点に関してはこの「浅原橋」説と「小井川」説の2つが存在し、資料によってどちらを採るかで記述が分かれている。しかし1900年の山梨馬車鉄道の時刻表では、小井川発の時刻を示しながら「浅原橋発は毎時40分」と注記している。この時期にはまだ浅原橋 - 鰍沢河岸間を結んでいた鰍沢馬車鉄道(後述)は開通しておらず時刻を示しようがないため、この注記は当社路線に関するものであり、この時点で当社の路線が既に浅原橋まで達していたと考えるのが自然である。この地域の停留所については公文書上でも停留所名ではなく「小井川村」と自治体名で示されることが多く、どの停留所のことを指しているかはっきりしないのも混乱の原因と考えられる。
  3. ^ 『帝国鉄道要鑑. 第2版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 当初の計画では譲渡当時の計画通り浅原橋 - 鰍沢河岸間のみの休止予定であったが、のちに千秋橋東詰まで延長された。
  5. ^ 計画上は「市内線」と称し、こちらが併用軌道区間では本線格であった。実際に開業した路線の舞鶴通り経由の部分は「錦町線」という支線であり、馬鉄の走ったことがない新設線である。
  6. ^ 30年7月設立とも『日本全国諸会社役員録. 明治33年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正13年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「軌道営業廃止」『官報』1928年9月1日(国立国会図書館デジタル化資料)
  9. ^ 『鉄道統計資料. 昭和4年』(国立国会図書館デジタルコレクション)






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