運行系統・ダイヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:29 UTC 版)
当社路線の運行系統は一貫して本社を中心としており、ここから列車が石和・勝沼方面は「東行」、鰍沢方面は「西行」として互いに同時発で運転されていた。 山梨馬車鉄道時代は下一条町の本社前が起点であった。1900年6月改正のダイヤによれば、勝沼方面は毎時00分発が勝沼行、12時台を除く毎時30分発が日川行と石和行の交互運転で、始発は5時発勝沼行、終発は19時30分発石和行である。一方、当時まだ途中までしか開通していなかった浅原橋方面は勝沼方面と同じく毎時00分発で、始発は5時発、終発は19時発と、運行間隔が広くやや終車が早かった。 これが山梨軽便鉄道時代になると、本社が太田町に移転したために運行拠点もそちらに移り、さらに甲府駅前まで支線が開業したため新しい運行系統が加わった。時期は不明であるが大正時代初期の改正と思われるダイヤによれば、石和方面は毎時15分・45分発となって区間運転はなく、始発は5時15分発、終発は18時45分とやや減便されている。鰍沢方面も全く同じダイヤ・終発・始発であったが、こちらは時刻が少しずれただけでほとんど変わっていない。 この他に甲府駅前行が存在し、本社から本線上を通って支線を通るルートで運転されていた。こちらは運転間隔がばらばらの上非常に本数が少なく、上記の時刻表によると6便しか存在せず、終発が14時台というありさまであった。
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