高野七不思議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 18:24 UTC 版)
空海に関連した伝説を中心に、7つの伝説が伝わる。 高野にハブなし昔、高野山に大蛇のような毒ヘビがいたが、参詣者を見つけると襲いかかり食べていた。 これを聞いた空海は竹ぼうきで大蛇を払って封印し、再び竹ぼうきを使う時代になれば封印を解くといったと伝わる。 高野に臼なし豊臣秀吉が割粥を所望したが、高野山には米臼がなかったため、米粒を包丁で二つに切って献上した。秀吉は米粒が綺麗に2つに割れていることに気付き「山に臼はないのか」と尋ねたところ、住職は機転をきかせ「女人禁制の山に杵はたくさんありますが、臼は一つもありません」と答えたところ、秀吉は上機嫌だったと伝わる。 姿見の井戸奥之院の中の橋脇の汗かき地蔵を祀っている堂があり、その右側の小さな井戸は「姿見の井戸」と呼ばれている。 この井戸を覗き込んで、水面に自分の顔が映らないと三年以内に死んでしまうと伝わる。 高野の大雨開創以来、魚や肉が禁じられているが、肉食愛好者が入山すると空海が山を洗い清めるために大雨を降らすと伝わる。また毎年御影供で御影堂が公開されるが、翌日は穢を流し清めるために大雨が降ると伝わる。 玉川の魚空海が、奥之院の玉川のほとりで小魚を捕って串に刺して焼いて食べようとしていた男を見つけた。空海は、小魚を買い取り清流に放すと串に刺さっていた小魚が泳ぎはじめた。それを見た男は殺生の罪をくい、殺生をやめた。 小魚には串の跡の斑点が残ったといわれ、今でも高野山ではこの魚を食べないと伝わる。 杖ヶ藪空海が京からの帰り道、高野山に差し掛かり、今まで使っていた竹の杖を、もう必要ないと道端に挿し込んだ。竹は逆さまに挿されていたが、やがて根を張り枝を張り葉を茂らせ、大きな竹薮になったと伝わる。 覚鑁坂奥之院の中の橋を渡ってすぐの石段は、覚鑁坂とよばれている。 石段の数は、四二(死)を越えるという意味があるためか、四三段になっている。万一途中で転ぶと三年ともたないと伝わり、別名を「三年坂」とよばれている。
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