高取城の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 08:02 UTC 版)
高取城の特徴として「城郭談話会」では次の4つを挙げている。 標高の高い山城であるが近世の施設がある 戦国時代以前の山城は山上の要害に築かれているが、近世になるにつれ小高い丘や平地の中心部に居城が移されることが多い。高取城のように山城のまま石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれた例は少ない。火災や風雨、山上の不便さから、再築されることが少なかったからである。しかし、高取城は3代将軍家光より「一々言上に及ばず」という許可があり、それで江戸時代を通じて各建物の存続と完備ができたとしている。 縄張と虎口の構成 高取城の縄張りは山城であるにもかかわらず、広い敷地をもち、連郭式縄張りと言われている。高取城は標高が高い場所に築城されているわりには、天守、櫓、門等の多くが建設される余裕があり、平山城と同じような構えをもっている。また不等辺台形の隅部に三重天守、小天守、二重櫓を配し、周囲に多聞櫓を巡らしている点は、和歌山城と類似する。この共通性は、羽柴秀長が3か国の太守となり、和歌山城には桑山重晴、抑えの城である高取城には本多利久と、自らの家臣を置いたからと考えられている。 天守と小天守が建てられている 山城に天守がある例は日本国内ではいくつかあったが、小天守まである例はほとんどない。例えば洲本城には、天守に小天守台はあったが、小天守台に小天守が建てられたかどうかは不明である。そもそも山城は眺望が優れており、近世の山城には天守すらない例があるが、高取城は「三重天守」以外にも一回り小さな「三重小天守」まである。築造時期は明確ではないが、本多利久から植村氏が入るまでと推定されている。 櫓の数棟が多く、独特の名称が多い 高取城は櫓の数が多い。三重櫓は、天守、小天守を含めると6棟あって、二重櫓が7棟あり、白漆喰総塗籠で姫路城に似た外観であったと考えられている。また、鐙櫓、具足櫓、十方矢倉、火之見櫓、客人櫓、小姓櫓など、独特の櫓名があるのも高取城の特徴であると指摘している。 また、二の門外の大手筋と岡口門の分岐に、猿石と呼ばれる石像がある。明日香村から石材として運ばれたもの。
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