馬車鉄道時代から電化まで
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「シュトゥットガルト・シュタットバーン」の記事における「馬車鉄道時代から電化まで」の解説
ドイツの商工業都市であるシュトゥットガルトに線路を用いた最初の公共交通機関が開通したのは1868年、全長2.8 kmの馬車鉄道であった。これは建築業を営んでいたゲオルグ・シュトレ(ドイツ語版)が中心となってプロジェクトを進めたもので、1850年代にパリを視察に訪れた際に当時最先端の交通機関である馬車鉄道の利便性を体感した事が大きく影響した。計画発表後は地元の乗合馬車からの反対もあったものの、翌1869年には路線網が全長5.8 kmに延伸され、その利便性からシュトゥットガルトのみならず郊外地域を含めた更なる路線網の増設も望まれるようになった。だが、急坂が多いシュトゥットガルトでは馬1頭の牽引力だと不十分である事に加え客車が大型であった事から2頭による牽引が前提となり、通過する道路への関税の支払いもありゲオルグが率いた馬車鉄道の経済力では延伸が困難となっていた。 そんな中、1886年には実業家のエルンスト・リプテン(Ernst Lipken)が新たな馬車鉄道の運営会社を創設し、それまで馬車鉄道が存在しなかった東部へ路線網を築いた。彼が率いる馬車鉄道は、ゲオルグの馬車鉄道(軌間1,435 mm)と異なり、小型の車両で済む他急カーブにも適したメーターゲージ(軌間1,000 mm)を採用し、後述の電化以降も長らくシュトゥットガルトの路面電車における標準仕様となった。その後、1889年に両社は経営統合を実施し、ゲオルグ側の企業が存続会社となった一方、運営権はエルンスト側が獲得した。これが2020年現在まで続く「シュトゥットガルト路面電車会社(Stuttgarter Straßenbahn AG)」の誕生の経緯である。その後、馬車鉄道の軌間は短期間でメーターゲージに統一された。 一方、統合以降はより輸送力が高い路面電車の導入計画も進められ、1892年にベルリンのAEGからの技術・資金提供を受け試運転が実施された。その後1895年から路線網の本格的な電化が開始され、長年シュトゥットガルト市内を走行していた馬車鉄道は1899年をもって姿を消した。 ゲオルグ・シュトレの馬車鉄道では2階建て客車が使用された(1868年撮影) エルンスト・リプテンの馬車鉄道(1891年撮影) 初期の路面電車(1898年撮影)
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