馬車鉄道時代から電化開業まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 05:52 UTC 版)
「コシツェ市電」の記事における「馬車鉄道時代から電化開業まで」の解説
商業や工業で発展するコシツェの街に都市交通の導入が検討されるようになったのは1881年の事だった。様々な起業家から馬車鉄道や蒸気鉄道の案が出されたものの、そのほとんどは貨物輸送が主体であり、旅客輸送に重点を置いたコシツェ市の構想とは離れたものであった。そのため、旅客列車を主体とした市内鉄道の案を出したブダペストの技術者であるイシュトヴァン・ポッパー(István Popper)との間に馬車鉄道の契約が結ばれたのは1890年となった。建設は翌1891年から始まり、同年の11月14日にコシツェ鉄道(Košické pouličné dráhy)が運営する最初の路線が開通した。 開業当初は旅客・貨物双方を取り扱っていたが、当初の想定よりも輸送量が少なかった貨物輸送に対してはコスト削減のため1892年に馬から蒸気機関車による牽引へと変更された。だが2種類の動力を用いた運用は不採算であった事から、1909年にコシツェ市は市内鉄道の電化に関する入札を実施し、最終的にヘニング・ハートウィッチ社(Henning Hartwich & Co.)と契約する事となった。同社によって設立されたコシツェ電気鉄道(Kassai villamos közúti vasút、K.V.K.V.)による、最初の電化路線(市電)の開通式典が実施されたのは1914年2月28日で、翌3月30日から本格的な営業運転が開始された。 1914年のコシツェ市電が描かれた絵葉書
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