馬車鉄道・ケーブルカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 17:50 UTC 版)
「シカゴ・サーフェス・ライン」の記事における「馬車鉄道・ケーブルカー」の解説
1850年代、シカゴ市内の公共交通機関の主力は馬が牽引する乗合馬車(オムニバス)であったが、道路が舗装されていなかった当時、泥の飛散や走行跡の凹凸など道路状態の悪化が問題となり、より近代的な交通機関が求められるようになった。それを受け、同年代後半以降シカゴでは線路を用いた馬車鉄道の建設を目指す複数の企業が設立されるようになり、1859年4月25日に最初の馬車鉄道がランドルフ(Randolph) - 12番通り(12th Streets)間で運行を開始した。 その後、シカゴ市内の馬車鉄道は様々な民間企業によって路線網が広がり、北部・南部に加えて1866年以降はシカゴ西部に路線を建設するため多数の企業が設立された。だが、やがて高い運営費用や速度の低さなどの課題が浮き彫りになり始め、新たな軌道交通が求められるようになった。そこで、シカゴ市内で最初に馬車鉄道の運営を開始したシカゴ市街鉄道(Chicago City Railway)は、1882年に循環式ケーブルカーの運行を開始した。これは線路の中央に溝を掘り、その中に鋼製ケーブルを設置したもので、運転士が搭乗するオープンデッキの制御車が密閉型の付随車を牽引する2両編成や、車両の半分がオープンデッキとなっている"カリフォルニア・カー(英語版)"と呼ばれる形態の車両が使用された。馬車鉄道に比べて輸送力が上がり、平均速度も馬車鉄道時代の毎時3マイル(4.83 km/h)から8 - 14マイル(12.88 - 22.53 km/h)と大幅に向上したケーブルカーも拡大が続き、複数の企業によって運営される世界最大規模の路線網が築かれる事となった。
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