馬でチリ縦断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 12:26 UTC 版)
「ロージー・スウェイル・ポープ」の記事における「馬でチリ縦断」の解説
大西洋横断を終えて帰宅したスウェイル・ポープは1年後にはホーン岬をもう一度見たいと願い、3,000マイル (4,830 km)の馬上の旅を計画する。チリ縦断の旅はアントファガスタの北港から始まり、ホーン岬まで彼女を乗せた馬には「オルネロ」と「ヨルゴリオ」と名づけた。どちらもチリ産アキュレオス馬(英語版)である。1492年、スペインの征服者が馬産地ロス・リンゲス(Los Lingues)のアキュレオ牧舎の馬をチリに導入したという故事がある。 今回の出発地ではチリの憲兵隊を率いるセサル・メンドーサ将軍(en、後の軍閥(英語版)首班)に出会う。オリンピックに馬術競技で出場経験のある乗馬家であり、将軍から庇護の確約を取りつけると、スウェイル・ポープは1984年7月22日にアントファガスタを離れる。約束どおり、行程の第1ステージには武装した護衛が同行した。出発前の計画では4ヵ月と見積もった馬の旅は、実際には14ヵ月を要することになる。旅の第1週に砂漠地帯で嵐に遭遇、連れていた予備の馬も装備もすべて散乱した。その後、体勢を立て直して進むうち落馬で肋骨を2本折っている。また南部の熱帯雨林で道から外れてしまい、食糧を使い果たして餓えに苦しんだ。悪天候のせいで日程は延び、ホーン岬到着は1985年9月2日、出発から合計409日かかった。チリで出会った体験は#自著『Back to Cape Horn』(1986年、仮題『ホーン岬に戻る』)にまとめた。
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