餓死事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/28 03:49 UTC 版)
「伊勢崎市同居女性餓死事件」の記事における「餓死事件」の解説
1993年 被害者は加害者に呼び出され、最初の家出をした(この時は被害者の両親と夫の手で連れ戻された)。 1996年 加害者の両親と姉が、それまで住んでいた群馬県太田市から、後に事件現場となる同県伊勢崎市内の借家へ逃げるように引越し、ひっそりと暮らしはじめる。 1998年 被害者は2度目の家出をし、主犯の男と伊勢崎市にて同居するようになる。主犯の男と姉を中心にして、この後激しく被害者に対し暴力を振るい、食事をほとんど与えなくなっていく。母親と姉にとっては、主犯の男が彼女に暴力を振るうことで、自分達に暴力が振るわれなくなることに安堵していた側面もある。彼女らは鬱憤晴らしで暴力を振るっていた。 また、家出の直後に被害者の父母が太田市の加害者宅を訪れているが、その数日前に加害者と被害者は伊勢崎の家へ移動していた。 2001年 8月頃 この頃から、被害女性は1人で歩けない状態が始まり、一家は「死亡してもやむをえない」と判断する。 11月 彼女はひどく衰弱した状態となった。主犯の男の父親は仕事を休んで被害者の様子を観察しており、いつか力尽きて死ぬのを、ただ眺め続けていた。この頃、主犯の男は気まぐれで食べ残しの飯を彼女に与えようとしたことがあった。だが、受け取ろうとした彼女の手を姉が叩き、米粒は床に落ちた。拾って食べようとしても、彼女はそれすら喉に通らないほど衰弱しきっていた。 11月10日 被害女性が餓死する。 11月12日 夕方、伊勢崎市消防本部に、主犯の男が119番通報する。この時の主犯の男の声は落ち着いたものであったという。救急隊員が現場に駆けつけてみたところ、女性の遺体は仰向けに寝かされ、毛布がかけられていた。司法解剖では、彼女は身長158センチに対し26キロの体重しかなかった。 2002年 2月13日午前 「未必の故意」として、殺人容疑で主犯の男、父親、姉を逮捕(後に母親も逮捕された)。 3月6日 4人を殺人罪で前橋地裁に起訴する。 10月15日 内縁の夫(主犯の男)に懲役13年、姉と母親に懲役10年を求刑(この時点で、父親の公判は分離された)。 11月25日 午後3時に前橋地裁で判決。主犯の男は懲役12年、姉と母親は懲役8年の実刑判決を受けた。
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