飯塚祐司監督時代
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2008年2月、飯塚祐司が監督に就任。4月の世界選手権トップディヴィジョンでは、7-9位決定リーグ戦で中国を3-1で破って9チーム中7位になり、初めてトップディヴィジョン残留に成功(2013年大会終了時点で最高順位)。しかし、同年11月に上海で開催された2010年バンクーバーオリンピック予選ではチェコに3-2、ノルウェーに3-1で2連勝したが、最終戦で中国に0-2で敗れて予選通過に失敗した。世界選手権でも翌2009年大会8位でディヴィジョンIに降格。 2012年2月、元アイスホッケー女子カナダ代表のトリノ・バンクーバー両オリンピック金メダリスト・カーラ・マクラウドをコーチに招聘。11月にはメンタルトレーナーも招聘。コーチらはチームに笑顔・明るさをもたらし、2013年2月にスロバキアのポプラトで開催された2014年ソチオリンピック最終予選では、初戦のノルウェー戦で3点を先行されたが、4点を入れ返して逆転勝利。2戦目のスロバキア戦はGWSの末、0-1で敗れたが、最終デンマーク戦を5-0で大勝してグループ1位となり、初めて予選を突破してのオリンピック出場が決定。予選後、笑顔というコンセプトを持ち続けて勝利を勝ち取った選手らの希望によりチームの愛称が「スマイルジャパン」に決まった。同年4月の世界選手権ではディヴィジョンI優勝を達成し、トップディヴィジョンに昇格。 2013年、大学生時代にアイスホッケー部を創設した高須克弥が個人スポンサーに名乗り出たが、他のスポンサーとの兼ね合いもあり、日本アイスホッケー連盟への援助となった。 2014年2月、ソチオリンピックでは予選リーググループBでスウェーデンに0-1、ロシアに1-2と世界ランクで格上の相手に善戦したが得点力不足で惜敗し、予選リーグでの敗退が決定。その後は五輪初勝利をかけて予選リーグ第3戦ドイツ戦、順位決定予備戦ロシア戦、7・8位決定戦ドイツ戦を闘ったが、いずれも敗れて初勝利をあげることはできなかった。5試合で127本のシュートを打ちながら6得点にとどまり、19回あったパワープレーで1得点もあげることができず、決定力不足であった。
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飯塚祐司監督(再任)時代
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2018年7月、山中体制でコーチを務めていた飯塚祐司が4年ぶりに監督に復帰。2020年4月24日に2020年世界ランキングが発表され、6位の日本はこの時点で2022年北京オリンピックの出場権を獲得した。 2021年世界選手権は歴代最高の6位となった。 北京オリンピックでは、スウェーデンに3-1、デンマークに6-2で勝利して2連勝スタート。第3戦中国戦は1-1からの延長でも決着がつかずPS戦で敗れたが、第4戦チェコ戦は2-2からのPS戦で勝利し、勝ち点9の予選リーググループB1位で初の準々決勝進出が決定した。準々決勝はグループA3位で世界ランク3位のフィンランドと対戦し、序盤から主導権を握られて1-7で敗退した。
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