飯塚臥龍斎以降の各派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:50 UTC 版)
11代 臥龍斎の後は、 菅沼勇輔系(棒澤、加美、児玉、秩父)いわゆる秩父系、 児島善兵衛系(佐位、那波、勢多)いわゆる伊勢崎系、 飯塚義高系(緑埜、甘楽、多胡、新田)いわゆる甘楽系と大きく3つに分かれた。 しかしながら、これらの気楽流各派の分類は近年になって始められたものであるため、伊勢崎(市)や藤岡(市)等、現在の行政区の名称が便宜的に使われているなど、時代考証から離れて、正確性に欠ける部分もあり、系統だった整理はいまだ完成してはいない。 幕府、旗本、藩領や寺社領の百姓を中心に、村落や往来が容易な街道筋(中山道、例幣使街道)で伝承がされていた背景や、明治維新後の廃藩置県、昭和平成の町政改革や郡、市町村の合併が繰り返されたことにより、ゆかりのあった郡や村々の名称が転々していることも整理を困難とさせている。 あえて国別でいえば、気楽流は、幕末以降の時代背景を受けて、臥龍斎の上野国、武蔵、江戸、及び隣接の下野、常陸、下総、上総の関東他にも伝わり、加えて、それ以前の修行時代を含めれば、陸奥弘前、讃岐、伊勢亀山でも伝承されていることから、域的人的伝承が主であり、地域で単純にかつ、正確に区別することは困難であるといえる。 これに、各流派の後継者の意向が加わり、自派を正統と論じがちなことから問題をさらに複雑化させている。
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