隆盛を極める丹頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 15:16 UTC 版)
このヒットを受けて、金鶴香水は「丹頂」シリーズで、1927年(昭和2年)に発売された「丹頂香油」や「丹頂ポマード」、1932年(昭和7年)発売の「丹頂ほほ紅」、1934年(昭和9年)発売の「丹頂クリーム」、1935年(昭和10年)発売の「丹頂ヘアーローション」、1936年(昭和11年)発売の「丹頂ブリランチン」、1947年(昭和22年)発売の「丹頂酵母クリーム」等、1952年(昭和27年)発売の「丹頂コールドクリーム」、1957年(昭和32年)発売の「丹頂ホルモニック」等が発売された。戦後1959年(昭和34年)4月には「丹頂」ブランドの知名度から、金鶴香水は丹頂株式会社と社名を変更するにいたる。 戦後の広告には、当時の映画スターとして知られた三船敏郎などが起用された。当時は、柳屋本店の「柳屋ポマード」(1920年発売)とこの「丹頂チック」が整髪料のシェアを二分していた。 しかし丹頂チックは、その後1963年(昭和38年)に資生堂から発売され、斬新さを前面に押し出した男性用化粧品「MG5」シリーズの登場により、その牙城に亀裂を生じ始める。1969年(昭和44年)には「MG5」がフルラインナップ化にしたことにより、たちまちのうちにシェアを奪われることとなった。これにより、丹頂は一時倒産寸前にまで追い込まれることになる。
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