隆盛と膨張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 02:11 UTC 版)
この軽便線のもたらした影響は極めて大きかった。1911年に制度が導入された当初はごく小さな路線が数本計画に上っただけであったが、手続の簡単さと区間設定の自由度の高さによって数が次第に増えて行った。そして1918年には、開業線・予定線含め35線に達したのである。これらの中には湧別軽便線(のちの石北本線と名寄本線の一部)のように、本来「本線」でありながら開通を急ぐために「軽便線」扱いで建設され、途中から「本線」に戻されるというあわただしい経緯をたどった路線もある。 そんな時、ここで軽便線の根拠となる軽便鉄道法が、1919年に民営鉄道関連法の整理のために廃止されるという事態になった。これにより軽便線は本来なら法的根拠をなくすはずであったが、実はこの時点で軽便線の予算を1929年まで計上出来るように決定してあったため、軽便線の制度は維持されることになった。そしてその後、軽便線の数は60線以上にまで増加して行く。 なおこれとは別に、私鉄買収線が「軽便線」とされることもあった。その中には仙北軽便鉄道を買収した「仙北軽便線」→「石巻軽便線」(のちの石巻線の一部)、魚沼鉄道を買収した「魚沼軽便線」(のち廃止)のように、特殊狭軌である路線も混じっている。
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