隆盛から衰退の兆しへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:47 UTC 版)
「新世界 (大阪)」の記事における「隆盛から衰退の兆しへ」の解説
1915年(大正4年)、新世界の運営に深く関わってきた阪堺電気軌道が南海鉄道と合併し、事実上、新世界の運営から手を引くことになる。同年、隣接する天王寺公園内に大阪市立動物園が開園した。1918年(大正7年)には南東に隣接して飛田遊廓( - 1958年)が開業、1919年(大正8年)には新世界に大阪国技館が建設されるなど、経営環境や周辺地域が目まぐるしく変化する中、新世界は道頓堀、千日前に次ぐ歓楽街として隆盛を極める。 一方ルナパークは、期待したほどの人気が得られず、「楽天地」など類似施設の開業も影響し、1923年(大正12年)に閉園した。跡地は大阪市電天王寺車庫に転用された。1930年代に入ると、郊外鉄道が多く集まる阿倍野界隈に近代的な映画館や百貨店が開業し、古色蒼然とした新世界とは違う新たな歓楽街として台頭し始める。1938年(昭和13年)に地下鉄御堂筋線が難波駅から天王寺駅まで延伸され、新世界の最寄駅として動物園前駅が開業している。
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