湧別線
湧別軽便線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 15:48 UTC 版)
区間:留辺蘂 - 社名淵間 全通:1915年11月1日 改軌:1916年11月7日 元々は北海道の鉄道敷設に関する予定を定めた北海道鉄道敷設法に名寄駅 - 下湧別駅(のちの湧別駅)間の予定線としてあった路線で、本来は着工する予定のないものであったが、開拓を急ぐ声から着工が具体化した。 この時に内閣鉄道院が用いたのが「軽便線」の制度である。軽便線は鉄道敷設法やそれに類する法律で敷設が予定されていない路線に適用される路線規格で、軽便鉄道法に準拠し施設の簡易な支線として建設することを条件に、帝国議会で予算承認を得るだけで建設できた。そのため、これをうまく使ってこの急な建設具体化に対応しようとしたのである。その結果、当線は網走本線(のちの池北線全線、石北本線・釧網本線の各一部)の支線に変更して「軽便線」として着工されることになった。 これに際し、財政逼迫を理由として留辺蘂駅から先は1067mmではなく762mm軌間で建設することになり、1915年11月1日に社名淵駅(のちの開盛駅)まで開業。その先、下湧別までもそのまま762mm軌間で着工しかかっていた。 しかしこの区間の開通に前後して、帝国議会で全区間を「軽便線」ではなく幹線格であり本来の当線の規格である「本線」として建設することが決定し、社名淵駅から先の軌間も1067mmに変更された。このために当区間は開業した直後からいきなり改軌を迫られる事態となり、翌1916年11月7日には改軌された。軌間こそ762mmであったものの、建築定規は1067mm規格であったため、比較的早く改軌を行うことが可能であったのが救いであった。 当線の区間は後年路線改編により二分割され、留辺蘂 - 遠軽間が石北本線、遠軽 - 社名淵間が名寄本線となった。1989年に名寄本線が廃止されたため、後継区間として現存するのは前者の区間のみである。
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