湧別軽便線とは? わかりやすく解説

湧別線

(湧別軽便線 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/31 06:39 UTC 版)

湧別線(ゆうべつせん)は、かつて北海道の野付牛駅(現北見駅) - 遠軽駅 - 湧別駅間を結んだ、日本の国有鉄道鉄道省)の鉄道路線である。

1932年(昭和7年)10月1日に下記のように分割され、消滅した。

  1. 石北本線(現・北海道旅客鉄道)の一部 野付牛駅 - 遠軽駅間
  2. 名寄本線(現在廃止)の一部 湧別駅 - 中湧別駅 - 遠軽駅間

関連項目


湧別軽便線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 15:48 UTC 版)

国鉄の特殊狭軌線」の記事における「湧別軽便線」の解説

区間留辺蘂 - 社名淵全通1915年11月1日 改軌1916年11月7日 元々は北海道の鉄道敷設に関する予定定めた北海道鉄道敷設法名寄駅 - 下湧別駅(のちの湧別駅)間の予定線としてあった路線で、本来は着工する予定のないものであったが、開拓を急ぐ声から着工具体化した。 この時に内閣鉄道院用いたのが「軽便線」の制度である。軽便線鉄道敷設法やそれに類する法律敷設予定されていない路線適用される路線規格で、軽便鉄道法準拠し施設簡易な支線として建設することを条件に、帝国議会予算承認を得るだけで建設できた。そのため、これをうまく使ってこの急な建設具体化対応しようとしたのであるその結果、当線は網走本線(のちの池北線全線石北本線釧網本線の各一部)の支線変更して軽便線」として着工されることになった。 これに際し財政逼迫理由として留辺蘂駅から先は1067mmではなく762mm軌間建設することになり、1915年11月1日社名淵駅(のちの開盛駅)まで開業その先、下湧別までもそのまま762mm軌間着工しかかっていた。 しかしこの区間開通前後して帝国議会で全区間を「軽便線ではなく幹線格であり本来の当線の規格である「本線」として建設することが決定し社名淵駅から先の軌間1067mm変更された。このために当区間開業した直後からいきなり改軌迫られる事態となり、翌1916年11月7日には改軌された。軌間こそ762mmであったものの、建築定規1067mm規格であったため、比較早く改軌を行うことが可能であったのが救いであった。 当線の区間後年路線改編により二分割され、留辺蘂 - 遠軽間が石北本線遠軽 - 社名淵間が名寄本線となった1989年名寄本線廃止されたため、後継区間として現存するのは前者区間のみである。

※この「湧別軽便線」の解説は、「国鉄の特殊狭軌線」の解説の一部です。
「湧別軽便線」を含む「国鉄の特殊狭軌線」の記事については、「国鉄の特殊狭軌線」の概要を参照ください。

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