関連する学問分野の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:28 UTC 版)
「インド・ヨーロッパ語族」の記事における「関連する学問分野の拡大」の解説
二十世紀に入って先史時代を扱う考古学が発達すると、言語学のみならず考古学の立場からも研究されるようになった。考古学を応用した初期の研究にグスタフ・コッシナ(英語版)による1902年のものがあるが、彼は始めから原郷がドイツにあると示す目的意識を持っていて、ナチスに政治利用されたことから原郷問題がタブー化した。 原郷問題が考古学の研究分野として復活したのは、1950年代のマリヤ・ギンブタスによるクルガン仮説の提唱に始まるとされる。黒海ステップの前4000年以降の銅器時代の文化を、当該地域に特有に見られる墳丘墓の名前からクルガン文化と呼ぶ。クルガン仮説によれば、黒海北方のステップの遊牧民が印欧祖語の話者で、彼らは馬を家畜化すると前3600 - 2300年ごろにクルガン文化(の中のヤムナヤ文化)とともに印欧祖語を広めた。ジム・マロリー(英語版)やデイヴィッド・アンソニー(英語版)がこれに追随し、アンソニーはステップでの馬の家畜化と乗用の起源を示すことで説の補強を試みた。 1987年にイギリスのコリン・レンフルーがアナトリア仮説を提出した。印欧祖族の故郷はアナトリア半島にあり、中央ギリシアに最初の農業経済を起こしてから前6500年以降に拡散したという、農業経済を軸にした提案だった。古代ギリシア語がヒッタイト語よりもサンスクリット語にはるかに類似しているという事実を説明できておらず、当時の社会に馬の存在はなかったとの主張は印欧祖語に馬の語彙が再建されることから退けられるなど、レンフルーの主張は既存の言語学の立場からはとくに懐疑視された。 生物学者のラッセル・グレイ(英語版)とクエンティン・アトキンソンは、計算生物学の手法を用いた研究を2003年に発表した。言語年代学を改良して統計的に単語の類似を分析した結果、印欧祖語が各言語に分岐した年代は前6000年以前であると示され、アナトリア仮説を擁護した。 アンソニーは、90年代以降の考古学を踏まえた研究を2007年の著作『馬・車輪・言語』に発表した。ポントス・カスピ海ステップを原郷においた印欧語の拡散の過程を描くことで、クルガン仮説を修正・補強してアナトリア仮説への反論を試みた。 言語学者のアンドリュー・ギャレット(英語版)らは、2013年以降の研究で、解析を条件を変えて行うと分岐年代がグレイらより遅くに想定されるとしてグレイらが設定する前提を批判した。Balterによれば、グレイらはギャレットらの研究を継承した解析に取り組み、再びアナトリア仮説を支持する結果を得たという。 レンフルーは、1994年に亡くなったギンブタスを記念する2017年の講演の中で、自説との両立を示唆しながらも“Marija’s Kurgan hypothesis has been magnificently vindicated.(マリヤのクルガン仮説は見事に立証された)”と発言しクルガン仮説を認めた。レンフルーの業績を称える2018年の記事では、言語年代学以外の立場からはアナトリア仮説は認められていないと指摘している。
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