開発開始から計画終了まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 04:06 UTC 版)
「ヨーロッパ (ロケット)」の記事における「開発開始から計画終了まで」の解説
ヨーロッパ計画は、ELDO発足の準備段階の1962年からELDO-Aとしてイギリス主導で計画が開始された。イギリスはブルーストリークを転用した第1段、フランスは第2段コラリー(Coralie)と、ディアマンBの第3段から流用したヨーロッパ 2用の第4段PAS(ペリジ・アポジ・システム、固体燃料のP068+衛星アポジモーター)、ドイツは第3段アストリス(Astris)、イタリアとベルギーはフェアリングと搭載する人工衛星、オランダはテレメトリや誘導制御装置等の電装系をそれぞれ担当した。イギリスが開発した第1段の設計はヤード・ポンド法、その他の部分の設計はメートル法を採用した。開発には第2段コラリーと第3段アストリスのみを使用した弾道飛行ロケットのコラも用いられた。 ヨーロッパ計画は3段階の計画であり、試験モデルの実証飛行を行った後、ヨーロッパ1、ヨーロッパ2、ヨーロッパ3と発展させていく計画であった。イギリスのブルーストリーク単独やダミーの上段と組み合わせた飛行試験は何れも成功であったが、フランスとドイツの上段ロケット、イタリアのフェアリング、オランダの制御装置を組み込んだところ、それぞれが原因で全ての打ち上げに失敗した。これによって最終型のヨーロッパ 3の打ち上げ以前に計画は中止され、ELDOはヨーロッパ宇宙機関(ESA)へと発展的に解消された。 寄り合い所帯で宇宙開発の経験が乏しい国が上段を担当したり、各国の利害関係により意思決定に時間がかかり、イギリスとフランスの主導権争いやイギリス担当の1段目はヤード・ポンド法、その他の国が担当する2段目以降はメートル法が使用される等、各国の足並みが揃わず、自国企業が自国の出資金額を大幅に超えて受注を獲得した事例があった事等が失敗の一因であるとされる。 出典
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