閉店とその後
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「徳山ステーションビル」の記事における「閉店とその後」の解説
1994年(平成6年)以降、郊外型大型店の進出などを背景にテナントの撤退が相次ぎ、1999年(平成11年)6月には全体の3分の1近くが空きテナントという状況になった。翌年の2000年(平成12年)4月に、運営会社(徳山ステーションビル株式会社)が解散に至った。 2001年(平成13年)2月に、2階以上(3,412m2)を徳山市が取得し、10月より「徳山市市民交流センター」(のちに周南市市民交流センターに改称)として再スタートした。
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閉店と - その後
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2008年4月8日、建物の老朽化や周辺環境の変化などを理由に同年7月8日をもって閉店すると報道各社に伝え、翌9日、経営陣が記者会見を開いた。 尚、営業最終日である2008年7月8日は18時までの営業となり、5階から8階は関西の芸能人、文化人ら著名人を招待しての「最後の晩餐」を催した。閉店当日、くいだおれ太郎は「永いことありがとう。おおきに 太郎」という言葉を残し、弟の「次郎」と共に店頭に立った。午後9時前に女将が「大阪名物くいだおれは日本一幸せな店でございました」と言葉を残し午後9時、店の約59年の歴史に幕を閉じた。なお、産経新聞は、くいだおれ閉店当日に大阪市内の一部で閉店を報道する号外を発行した。 不動産は傍系のくいだおれ不動産が保有しているが、跡地利用方法は未確定。法人としてのくいだおれは、飲食業の廃業後はマスコットキャラクターのマネージメント業に業態を変えている。 2009年には、くいだおれビルから少し離れた場所(小道を挟んで東3軒隣)にある、かつての劇場「中座」跡地にあったビルの名称が「中座くいだおれビル」に変更され(運営主体は別企業)、くいだおれ太郎も同じビルに移設された。 2015年現在、元のくいだおれビルは土産物店として1階で営業を続けており、くいだおれ太郎のグッズや食品が売られている。
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