鈴木儀雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 09:43 UTC 版)
注釈
- ^ 後年のインタビューでは、彫刻科の同級生であった円谷英二の甥である円谷良夫の紹介と述べている[5][6]
- ^ 卒業直後は、高校の美術教師となったが、すぐに辞めたという[5]。
- ^ 美術スタッフに転向して特撮から離れたのは映画監督を志望していたからであった[6]。結局、監督になることはなかったが、この時の幅広い経験がその後の美術の仕事で役だったとしている[6]。
- ^ 『スクリーン特編版 ゴジラVSデストロイア特集号』(近代映画社)では「そのデザインの斬新さに、まず目を引かれる」「ゴツゴツとした突起で構成された基地内は、さながら幻想映画の一場面のよう」(p50)と形容している。また、『ゴジラvsデストロイア』DVDのオーディオコメンタリーにおいて司会進行の倉敷保雄を「すごいセットですね」と驚かせていた。
- ^ 「ゴールの伝説」はキャラクターデザインも担当。
出典
- ^ a b c d e f g 東宝ゴジラ会 2010, p. 200, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW15 鈴木儀雄 渡辺忠昭 久米攻 島倉二千六」
- ^ a b c d e f g h i j VSデストロイアコンプリーション 2017, p. 45, 「STAFF MESSAGE 鈴木儀雄」
- ^ a b c d e f g h i j k l 豪怪奔放 2021, pp. 116–119, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 検証:栄光の怪獣王国、狂乱のデザイン史―ウルトラマン第二期 編― 05 超獣を超獣たらしめ、そして凌駕する、鈴木儀雄の自由闊達な超感覚デザイン DESIGNER 鈴木儀雄」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 宇宙船159 2017.
- ^ a b 東宝ゴジラ会 2010, pp. 202–214, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW15 鈴木儀雄 渡辺忠昭 久米攻 島倉二千六」
- ^ a b c d e 「Staff Interview 鈴木儀雄」『別冊映画秘宝 円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年、67頁。ISBN 978-4-8003-0209-0。
- ^ a b c d e f g h i j 『世田谷文学館』所蔵のプロフィールより[要文献特定詳細情報]。
- ^ 『ウルトラマンレオ LD-BOX』の解説書より。
- ^ a b c 東宝SF特撮映画シリーズ10 1996, pp. 54–58, 「インタビュー 大河原孝夫」
- ^ “土曜ジュニア文学館「ウルトラ怪獣をデザインしよう!」”. 世田谷文学館 (2006年8月12日). 2006年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 豪怪奔放 2021, pp. 32–57, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 ウルトラマンA」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 豪怪奔放 2021, pp. 58–81, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 ウルトラマンタロウ」
- ^ 豪怪奔放 2021, p. 83, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 ウルトラマンレオ」.
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