金準備とスペイン銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 03:07 UTC 版)
「モスクワの金」の記事における「金準備とスペイン銀行」の解説
スペイン内戦が勃発する直前の1936年5月、スペインの金準備は世界第四位を誇っていた。この金は主にスペインが中立であった第一次世界大戦中に蓄積されたものである。スペイン銀行の記録によると行方の分かっていなかった金準備は主にマドリッドのスペイン銀行に保管されており、残りは各地方のスペイン銀行の支店やパリに保管されていた。この金準備の内訳は主にスペインや国外の金貨によるもので骨董品の様な形で保管されていたものは全体の0.01%ほどであった。金塊としての金も64インゴットと決して多くはなかった。当時のスペインが保有する金準備の価値は様々な文献から窺い知ることが出来る。1936年、8月7日、ニューヨークタイムズはマドリッドに保管されているスペインの金準備は当時のアメリカドルにして7億1800万ドルに達すると報じた。これは純金635トンに相当するものである。1936年7月1日にスペイン銀行によって発行された統計によると、内戦3週間前の6月30日時点での金準備は52億4000万ペセタに達したと記録されている。(これは当時の7億1800万ドルに相当する。2005年時点での金額はインフレ指数の変動を含めると97億2500万ドルに相当する)。これと比較し2か月後の9月時点でのスペインの金準備の総額は当時の75億900万ドルと急増する。スペイン銀行は1936年にジョイント・ストック・カンパニーとして設立され、資本金は1億7700万ペセタであった。銀行自体は国有ではなかったが銀行の総裁を任命する権限は政府が有し、また銀行の理事会の中には財務省にあたる官庁によって任命された理事が含まれておりスペイン銀行は両者の影響下におかれることになる。 1921年12月29日に施行された銀行法(当時の財務大臣、フランシスコ・カンボにちなみカンボ法とも呼ばれる。)はジョイント・ストック・カンパニーであったスペイン銀行を中央銀行、並びにプライベートバンクに指定し、金準備の使用に関し議会の正式な承認が必要とされる事を明記した。また同法はペセタの為替の誘導、及び国際的な為替市場、貨幣市場に干渉する際に大蔵省から要求がある場合のみ、政府はスペイン銀行に金準備を売却する事を要求出来る権利を有すると明記した。 歴史家の中には戦時下の金の移送に関して疑問を呈す者もおり、スペイン銀行からの金の移送はカンボ法を明らかに違反していると主張している。
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